鎌ケ谷大仏。鎌ケ谷市鎌ケ谷にある旧跡・名所

猫の足あとによる千葉県寺社案内

鎌ケ谷大仏。鎌ケ谷市鎌ケ谷にある旧跡・名所

鎌ケ谷大仏の概要

鎌ケ谷大仏は、鎌ケ谷市鎌ケ谷にある名所旧跡です。鎌ケ谷大仏は、当地の富豪福田文右衛門(大国屋)が祖先の冥福を祈る為に安永5年(1776)に造立した高さ1.8メートルの青銅釈迦如来像です。大仏の開眼供養には福田家より大佛まで約300mの道路に琉球表を敷き詰め、僧侶50余名を従えて練り歩き、振舞には江戸の料理屋から料理三百人前を調達、二の膳には平に二分金、つぼに一分銀、皿に小判を盛ったと伝えられ、「つぼに白銀、お平にや黄金、皿にや小判でとどめさす」と唄ひ囃されたといいます。

鎌ケ谷大仏
鎌ケ谷大仏の概要
旧跡・名所名 鎌ケ谷大仏
みどころ 市指定文化財
入場時間 -
入場料 -
住所 鎌ケ谷市鎌ケ谷1-5-40
備考 -




鎌ケ谷大仏の縁起

鎌ケ谷大仏は、当地の富豪福田文右衛門(大国屋)が祖先の冥福を祈る為に安永5年(1776)に造立した高さ1.8メートルの青銅釈迦如来像です。大仏の開眼供養には福田家より大佛まで約300mの道路に琉球表を敷き詰め、僧侶50余名を従えて練り歩き、振舞には江戸の料理屋から料理三百人前を調達、二の膳には平に二分金、つぼに一分銀、皿に小判を盛ったと伝えられ、「つぼに白銀、お平にや黄金、皿にや小判でとどめさす」と唄ひ囃されたといいます。一商家が奉納した仏像としての大きさもさることながら、振舞の豪奢が鎌ケ谷大仏を著名にしたのかもしれません。

境内掲示による鎌ケ谷大仏について

鎌ケ谷大仏
安永5年(1776年)11月、当時鎌ケ谷宿の住人大国屋(福田)文右衛門が、祖先の冥福を祈るために、江戸神田の鋳物師多川主膳に鋳造させた高さ1.8メートルの青銅で作られた露座の釈迦如来仏で、通称鎌ケ谷大仏と呼ばれています。その柔和なまなざしは、永く後世の人々に平和をさとすかのようです。この大仏の開眼にあたっては、上記福田文右衛門宅より台仏墓地に至るまでの約3町(約327メートル)にわたる道路一面に琉球表を敷き詰め、僧侶50余名を請じて途中は音楽にあわせてねり供養をしたと言い伝えられています。鎌ケ谷宿の往時の繁栄を物語る貴重な文化遺産です。(鎌ケ谷市教育委員会掲示より)


千葉縣東葛飾郡誌による鎌ケ谷大仏について

鎌ケ谷大仏
鎌ケ谷村鎌ケ谷里俗大佛前にあり、總丈六尺青銅を以て鑄造せる阿彌陀如来の座像にして、高さ二尺廣さ九尺四方の臺石の上に露座す、是れ當村の富豪福田文右衛門が祖先の冥福を祈り衆庶の後世を弔はんが爲め、安永五丙申歳十一月建立するところ(同時に千葉郡豊富村大穴の某寺に巨大の梵鐘を寄進せり)口碑の傳ふるところに依れば、開眼供養には福田家より大佛迄約三丁の道路一帯に琉球表を敷き詰め、僧侶五十餘名を請い、途中は音楽にてねり供養なりき、又振舞は江戸京橋八百善に料理三百人前を調へしめ、二の膳には平に二分金、つぼに一分銀、皿に小判を盛れり。されば當時の俗謡に「つぼに白銀、お平にや黄金、皿にや小判でとどめさす」と唄ひ囃せりと謂ふ。(「千葉縣東葛飾郡誌」より)

鎌ケ谷大仏の周辺図