粟野千寿坊|東葛印旛大師八十八ヶ所霊場
粟野千寿坊の概要
鎌ケ谷市粟野にある寺院の粟野千寿坊は、かつて利用されていた堂庵です。粟野千寿坊の創建年代等は不詳ながら、江戸期には宝泉院持の堂庵として奉斎され、千手観音像と阿弥陀如来像を奉安していたといいます。粟野青年館が建設されて以降、仏像は遷され、仏教信仰の行事としての利用は途絶えてしまったといいます。東葛印旛大師八十八ヶ所霊場10番です。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | - |
住所 | 鎌ケ谷市粟野120-1粟野青年館 |
宗派 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
粟野千寿坊の縁起
粟野千寿坊の創建年代等は不詳ながら、江戸期には宝泉院持の堂庵として奉斎され、千手観音像と阿弥陀如来像を奉安していたといいます。粟野青年館が建設されて以降、仏像は遷され、仏教信仰の行事としての利用は途絶えてしまったといいます。
「鎌ヶ谷市史資料編(民俗)」による粟野千寿坊の縁起
千手坊
粟野字東側一二八番地に所在する。本尊は千手観音・阿弥陀如来。通称「お堂」と呼ばれ、以前はムラの寄合や念仏講などが行なわれていたが、隣接して青年館が建立されてからは、あまり利用されなくなり、本尊も移され祀られている。東葛・印旗大師講第十番札所が所在する。(「鎌ヶ谷市史資料編(民俗)」より)
「鎌ケ谷市史別巻」による粟野千寿坊の縁起
粟野には千手坊がある。前掲「宝泉院寺柄書上」には千手観音と阿弥陀如来を本尊とする堂として記されており、前者を通称名として使用したことがわかる。
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ただし、粟野の千寿坊は、隣接して青年館が建設されてからは、本尊も移され、利用されなくなった。(「鎌ケ谷市史別巻 」より)
粟野千寿坊の周辺図
参考資料
- 鎌ヶ谷市史資料編(民俗)
- 鎌ケ谷市史別巻