囃子清水七面堂|妙蓮寺の境外仏堂
囃子清水七面堂の概要
鎌ケ谷市丸山にある寺院の囃子清水七面堂は、妙蓮寺の境外仏堂です。囃子清水七面堂の創建年代等は不詳ながら、明和2年(1765)銘の石塔が残されていることから江戸時代中期には祀られていたのではないかといいます。当地は大柏川水源の池畔に奉安され、道野辺全体で祀っていました。この池にまつわる話として、孝行息子が父親の好物を採集しようとしたものの、池に落ちて亡くなってしまい、この話を聞いた僧侶が供養の題目を唱えたところ、池の底から笠の如き清水が噴出したことから、池を「囃子清水」と呼ぶようになったと伝えています。
山号 | 真中山 |
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院号 | - |
寺号 | 妙蓮寺 |
住所 | 鎌ケ谷市丸山3-9-38 |
宗派 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
囃子清水七面堂の縁起
囃子清水七面堂の創建年代等は不詳ながら、明和2年(1765)銘の石塔が残されていることから江戸時代中期には祀られていたのではないかといいます。当地は大柏川水源の池畔に奉安され、道野辺全体で祀っていました。この池にまつわる話として、孝行息子が父親の好物を採集しようとしたものの、池に落ちて亡くなってしまい、この話を聞いた僧侶が供養の題目を唱えたところ、池の底から笠の如き清水が噴出したことから、池を「囃子清水」と呼ぶようになったと伝えています。
境内掲示による囃子清水七面堂の縁起
この七面堂の創立は不明ですが、石塔に明和2年(1765年)と刻まれていることから、その頃の小社であるといえます。
境内に「南無七面大明神」(日蓮宗の守護神)という石塔があり妙蓮寺の管理下にあったことを示しています。また、滝神様(水の神様)の石塔もありご本尊は弁天様で、囃子清水の守護神であることもうかがえます。
昔話として、ある雨の日、蓑笠をつけた里の孝行息子が父親の大好物のタラの若芽を取ろうとしたが、運悪く足を踏外して池の中に落ちて死んでしまった。この話を聞いた大聖人が、池辺で供養のため声高く御題目を唱えたら、池の底から笠の如き清水が噴出したので、この池を囃子清水という。(鎌ヶ谷市教育委員会掲示より)
「鎌ヶ谷市史資料編(民俗)」による囃子清水七面堂の縁起
七面堂
道野辺字囃子水台九二五番地ノ一に所在する。境内地は、妙蓮寺の管理下にある。元来は道野辺全体で祀っていたが、戦後に龍り堂が建てられ、十年位前から、駅前自治会の人々が毎月十九日にオコモリをするようになった。(「鎌ヶ谷市史資料編(民俗)」より)
囃子清水七面堂の周辺図
参考資料
- 鎌ヶ谷市史資料編(民俗)
- 鎌ケ谷市史別巻