萬福寺|鎌ケ谷市中沢にある日蓮宗寺院

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延寿山萬福寺|戦国時代の天正元年開山

萬福寺の概要

鎌ケ谷市中沢にある日蓮宗寺院の萬福寺は、延寿山と号します。萬福寺は、法華経寺を退隠して当地に閑居した日光上人が天正元年(1573)に開山、承応3年(1654)に本行院日延が再建したといいます。

萬福寺
萬福寺の概要
山号 延寿山
院号 -
寺号 萬福寺
住所 鎌ケ谷市中沢484
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



萬福寺の縁起

萬福寺は、法華経寺を退隠して当地に閑居した日光上人が天正元年(1573)に開山、承応3年(1654)に本行院日延が再建したといいます。

「鎌ケ谷市史(上巻) 」による萬福寺の縁起

万福寺-中沢村-
字根郷に所在した。日蓮宗に属し、法華経寺の末寺である。本尊は釈迦仏・多宝仏・日蓮大菩薩であり、法華経寺より当村へ閑居した日光上人によって、天正元年(一五七三)に開山されたという。承応三年(一六五四)に堂宇が大破したため、本行院日延によって再建されたと伝えられる。檀徒の人員は五三一人と記されているが、檀家数は不詳である(以上「県寺院明細帳」)。
史料的に本寺のみえる初出は、慶長十一年(一六〇六)の「法華経寺本末連判状」(『市史」資料編Ⅲ・上中世No八)であり、先の「県寺院明細帳」記載の伝承と合わせて、近世初頭に開かれたものと考えて差し支えないであろう。また、寛永期(一六二四~四四)以降元禄期(一六八八~一七〇四)までの間に作成されたと思われる史料(『市史』資料編Ⅲ・下No一八四)によると、一時的に感応寺と名乗ったこともあるらしい。寺宝のなかに、天保十一年(一八四〇)銘の「釈迦涅槃図」がある。檀家の範囲は、ほぽ中沢村一村であるが、明治十年(一八七七)の「霊籍(過去帳)」(万福寺蔵)によると、鎌ケ谷村・道野辺村(以上現市内)・藤原新田・上山新田(以上現船橋市)・大野村・柏井村・大町新田(以上現市川市)・串崎新田(現松戸市)など周辺村にも少数ではあるが檀家を有していた。元禄十一年(一六九八)の「中沢村差出帳」(『市史』資料編Ⅲ・上No七二)によると、境外に田一か所(反別七畝)、畑二か所(反別一反一畝)、草野一か所を所持していた。(「鎌ケ谷市史(上巻) 」より)

「鎌ヶ谷市史資料編(民俗)」による萬福寺の縁起

万福寺
日蓮宗。法華経寺末。本尊は釈迦仏・多宝仏・日蓮大菩薩。中沢字根郷四八四番地に所在する。天正元年(一五七一二)日光上人の開基と伝える。中沢全体が檀家である。(「鎌ヶ谷市史資料編(民俗)」より)


萬福寺の周辺図


参考資料

  • 鎌ケ谷市史(上巻)
  • 鎌ヶ谷市史資料編(民俗)