宝蔵山海福寺|長狭三十三観音霊場、安房国百八箇所地蔵霊場
海福寺の概要
真言宗智山派寺院の海福寺は、宝蔵山と号します。海福寺は、応永4年(1397)に創建、清澄寺を(天台宗から真言宗に改めて)中興した僧頼勢が正保4年(1647)に中興したといいます。江戸期には新町正運坊、布入弁天堂、引土地蔵堂(現大師堂)の別当を勤めていたといいます。昭和45年に吉祥院・宝泉寺・持明院と合併、長狭三十三観音霊場8番札所、安房国百八箇所地蔵霊場52番札所となっています。
山号 | 宝蔵山 |
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院号 | - |
寺号 | 海福寺 |
住所 | 鴨川市天津1553-1 |
宗派 | 真言宗智山派 |
縁日 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
海福寺の縁起
海福寺は、応永4年(1397)に創建、清澄寺を(天台宗から真言宗に改めて)中興した僧頼勢が正保4年(1647)に中興したといいます。江戸期には新町正運坊、布入弁天堂、引土地蔵堂(現大師堂)の別当を勤めていたといいます。昭和45年に吉祥院・宝泉寺・持明院と合併、長狭三十三観音霊場8番札所、安房国百八箇所地蔵霊場52番札所となっています。
境内石碑による海福寺の縁起
宝蔵山 海福寺
当山は真言宗智山派に属し、総本山は京都の智積院、弘法大師空海を宗祖と仰ぐ密教寺院です。
創建は室町時代の応永四年(一三九七)。江戸時代の正保四年(一六四七)に幕府から清澄寺を賜った僧頼勢により中興されました。
江戸時代の天津村内で、新町の正運坊、布入の弁天堂、引土の地蔵堂(現大師堂)を管理していました。文政七年(一八二四)に起きた天津村大火で境内の諸堂を消失しましたが、後に本堂を再建し、難を逃れたご本尊を安置しました。
昭和四十五年、近隣にあった吉祥院、宝泉寺及び持明院と合併し、以降、諸堂の再建と墓地境内の整備を進めました。
本堂には、ご本尊の阿弥陀如来はじめ長狭三十三観音霊場ご本尊の千手観世音菩薩、安房国百八箇所地蔵霊場ご本尊の地蔵菩薩、房総里見一族が先勝を祈願したという毘沙門天など、室町時代から、多くの人々の信仰を集めてきたご尊像を安置しています。
また、境内には大日堂、淡嶋堂、不動堂及び稲荷社などのお堂のほか、石造の尊像や供養塔が数多くあります。(境内石碑より)
海福寺の周辺図