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兵主八幡両神社|柏市手賀の神社

兵主八幡両神社の概要

兵主八幡両神社は、柏市手賀にある神社です。兵主八幡両神社の創建年代等は不詳ながら、戦国時代に手賀城主原氏の氏神として祀られていたもので、手賀城落城後は原氏の重臣大山家の氏神として奉祀されていたといいます。文化14年(1817)手賀・片山両村により本殿が造営され、以降手賀・片山の鎮守となっています。銘維新後の社格制定に際し村社に列格していました。境内の大師堂は、東葛印旛大師八十八ヶ所霊場13番です。

兵主八幡両神社
兵主八幡両神社の概要
社号 兵主八幡両神社
祭神 經津主命・譽田別命
相殿 -
境内社 太子堂、金毘羅宮、粟島神社、大師堂43番
住所 千葉県柏市手賀1418
祭日 オビシャ1月15日、秋祭10月15日
備考 -



兵主八幡両神社の由緒

兵主八幡両神社の創建年代等は不詳ながら、戦国時代に手賀城主原氏の氏神として祀られていたもので、手賀城落城後は原氏の重臣大山家の氏神として奉祀されていたといいます。文化14年(1817)手賀・片山両村により本殿が造営され、以降手賀・片山の鎮守となっています。銘維新後の社格制定に際し村社に列格していました。

千葉県神社名鑑による兵主八幡両神社の由緒

由緒に関する記載なし(千葉県神社名鑑より)

「沼南町史」による兵主八幡両神社の由緒

手賀と片山両地区の鎮守である。古来、手賀の”八幡様”として知られ、バス道路と平行して長い境内をもっ森域である。この南北の方向に、幅約五メートル、長さ二百メートルに及ぶ長い一直線の通りは、参道ならぬ”馬場”と称され、南北両端には廿型の結界門があり、以前はその間を牛馬などが通行することは一切禁止されていた。
社伝によれば、当社は、中世戦国期の手賀城主である原氏の氏神であったが、手賀城の落城以後は、五重臣の一員である大山家の氏神として奉祀されていたという。後に、幕末の文化十四(一八一七)年九月に、手賀・片山両村によって現在の本殿が造営され、以後、両村の鎮守となった。時の棟梁は手賀の嘉平であった。本殿には多くの彫刻が施され、腰組には十二支、胴羽目板には二十四孝、向拝柱と角柱の桝組上部には振面の龍がみられる。昭和三十九年、拝殿を新築するとともに、本殿には完全な露除けの納屋を施し、昭和四十六年には、従来の茅葺を銅板葺に改修した。(「沼南町史」より)


兵主八幡両神社の周辺図


参考資料

  • 千葉県神社名鑑
  • 「沼南町史」
  • 「千葉縣東葛飾郡誌」