柳戸六所神社|柏市柳戸の神社
柳戸六所神社の概要
柳戸六所神社は、柏市柳戸にある神社です。柳戸六所神社の創建年代等は不詳ながら、当地にはかつて手賀城の出城があったものの、手賀城落城の後に出城を護っていた10名が当地に土着したといわれ、土着に際して祀られてのではないかといいます。村民共有地に鎮座していることから阿弥陀堂・大師堂も祀られ、大師堂は東葛印旛大師八十八ヶ所霊場40番となっています。
社号 | 六所神社 |
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祭神 | 天照大御神、素戔嗚尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊、蛭児尊、月夜見尊 |
相殿 | - |
境内社 | 天満宮、足尾山神、大杉大明神 |
住所 | 千葉県柏市柳戸411 |
祭日 | オビシャ1月7日、秋祭10月15日 |
備考 | - |
柳戸六所神社の由緒
柳戸六所神社の創建年代等は不詳ながら、当地にはかつて手賀城の出城があったものの、手賀城落城の後に出城を護っていた10名が当地に土着したといわれ、土着に際して祀られてのではないかといいます。村民共有地に鎮座していることから阿弥陀堂・大師堂も祀られ、大師堂は東葛印旛大師八十八ヶ所霊場40番となっています。
千葉県神社名鑑による柳戸六所神社の由緒
由緒に関する記載なし(千葉県神社名鑑より)
「沼南町史」による柳戸六所神社の由緒
下柳戸地区一〇戸の鎮守である。県道柏印西線に沿った旧道(町道)から、ほぽ直線に百メートルの参道を入った奥手に、左側に阿弥陀堂、右側に当社という配置で並んでいる。両者ともに、域内地は当地区の区民の共有地となっている。詳細は不詳であるが、下柳戸地区には、戦国時代に手賀城の出城があったが、手賀城の落城を機として、出城の十名が当地に土着したといわれる。したがって、当社もそのころに祀られたものと推定される。
現在の社殿は、御神木の椎の古木を背にして、万延元(一八六〇)年の建立であり、小宮殿が莢堂の中に安置されている。
なお、隣の阿弥陀堂は寛文十三(一六七三)年に再建された古堂(間口六間、奥行三・五間、方形茅茸)であったが、最近解体し、新築中である。境内には法印や沙弥の石塔があり、延享四(一七四七)年や安永七(一七七八)年などの年号がみられるから、昔は堂主がいたことを示している。また、堂の裏手の墓所には、多くの古石塔が存在し、近世初期の寛永年間(一六二四~四四)の年号が少なからずみられる。(「沼南町史」より)
柳戸六所神社の周辺図
参考資料
- 千葉県神社名鑑
- 「沼南町史」
- 「千葉縣東葛飾郡誌」