藤心陣屋跡。柏市藤心にある旧跡・名所
藤心陣屋跡の概要
藤心陣屋跡は、柏市藤心にある名所旧跡です。藤心陣屋跡は、元和元年(1615)頃に当地を領有した本多正重が陣屋を構えた跡地です。本多家は幕末まで当地を領有、柏市域に当地の他に船戸に陣屋(代官所)を設置していました。
旧跡・名所名 | 藤心陣屋跡 |
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みどころ | 史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 柏市藤心 |
備考 | - |
藤心陣屋跡の由緒
藤心陣屋跡は、元和元年(1615)頃に当地を領有した本多正重が陣屋を構えた跡地です。本多家は幕末まで当地を領有、柏市域に当地の他に船戸に陣屋(代官所)を設置していました。
境内掲示による藤心陣屋跡の由緒
柏市文化財めぐり
代官所と本多侯
土村誌に「陣屋蹟 藤心字大宮二百七十番ニアリ。里人御代官跡又ハ御役所跡ト称ス。維新以前本多紀伊守ノ配下ニ属スル役所ノアリタル処ニシテ、明治二年其ノ建物ヲ取払ヘリ。(後略)」との記述があります。
江戸時代の柏の地域には数十の村がありました。しかし、一括した一人の領主の支配地ではありません。幕府は江戸周辺の地では幕府直轄地(代官支配)か旗本の知行地を本体とし、石高の小さい飛領地を組み合わせて配置し、財政的、権力的に幕府を脅かすことのないような制度をつくりました。
本多俊正の四男正重は元和元年(一六一五年)のころから柏地方との関係が生じ、享保年間(一七一六~一七三五年)頃までには、本多家代々によって市域内では十四ヶ村にわたって支配するようになりました。
正重は家康から柏周辺で九千石を拝領し、一万石大名の格式を与えられ、船戸と藤心に代官所を置き、領地の差配をしました。
本多家も代が替わり、また所替え(転任)等があっても、領地の返上はせず江戸時代末までの二百五十年間柏地方の領主として支配してきました。
このように長年にわたり支配できたというのも本多家代々の善政が行われていたようです。当時の善政というのは、主に重税(年貢)をかけないということがあったのです。
明治維新の折、本多家の領地は安房に移り、下総の領地は上知(あげち=返上)をされました。(柏市教育委員会掲示より)
「千葉縣東葛飾郡誌」による藤心陣屋跡の由緒
土村
(名所舊蹟)
陣屋蹟
藤心にあり、維新前以前本多紀伊守の役所のありたる所にして、里人、御代官跡又は御役所跡と稱せり、現今畑となりたれども、往時の陣屋の地形は略ば存せり。(「千葉縣東葛飾郡誌」より)
藤心陣屋跡の周辺図