船戸古墳群。柏市大井にある旧跡・名所

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船戸古墳群。柏市大井にある旧跡・名所

船戸古墳群の概要

船戸古墳群は、柏市大井にある名所旧跡です。船戸古墳群は、前方後円墳7基、円墳33基の計40基からなる古墳群です。いずれも墳丘は1m前後と大きくはありませんが、被葬者は手賀沼南岸地域の有力者だったと思われ、6世紀後半から7世紀前半にかけて築造された古墳群です。

船戸古墳群
船戸古墳群の概要
旧跡・名所名 船戸古墳群
みどころ 史跡
入場時間 -
入場料 -
住所 柏市大井
備考 -




船戸古墳群の由緒

船戸古墳群は、前方後円墳7基、円墳33基の計40基からなる古墳群です。いずれも墳丘は1m前後と大きくはありませんが、被葬者は手賀沼南岸地域の有力者だったと思われ、6世紀後半から7世紀前半にかけて築造された古墳群です。

境内掲示に謳われた歌について

船戸古墳群は前方後円墳7基、円墳33基の計40基からなる古墳群で、6世紀後半から7世紀前半にかけて造られたと考えられています。市内でもこれだけ多くの古墳がまとまって存在する場所はありません。
昭和24年に國学院大学が調査を実施して以降、断続的に調査が行なわれています。
埋葬施設に板石を箱状に組み合わせた箱式石棺を採用する4号墳や唯一埴輪を持つ30号墳が古墳群の中でも初期段階に築造された古墳と考えられます。その後、横穴式石室をもつ37号墳が登場します。特に37号墳では副葬品にバグや飾り太刀の一部が発見されていることから、被葬者は手賀沼南岸地域の有力者であったと思われます。手賀沼は当時の重要な交通路でしたから、往来する人々にとっては、見上げると小山のように見える古墳に圧倒されたことでしょう。古墳は有力者のお墓であると同時に、権力の象徴でした。(柏市教育委員会掲示より)

「沼南町史」に謳われた歌について

船戸古墳群
当町大井字船戸地籍にある船戸古墳群中二基の調査では、第一号古墳の規模は高さ九五センチ、南北一八メートル、東西一、五メートル八〇センチの円墳であるが、外部構造、埴輪の存在は認められず、わずかに須恵器数片の出土をみた。石室は、古墳の中心からは南にかたよっている変則古墳で、有楽町層を切り込んでつみかさね羽子板形に竪穴式石室を構築したものであるが、すでに盗掘の災にあって破壊が大きく、遺物は鉄鏃、刀子、直刀の残片が残っているだけであった。
第二号古墳の規模は、高さ八〇センチ、東西二二メートル、南北二〇メートルニ〇センチの円墳で、埴輪などの外部施設は何ら認められない。内部構造は、玄室の奥壁幅一メートル五八センチ、羨道部は幅一メートル六二センチで、有楽町層を切り出してつみかさね横穴式石室を築いている。遺物は、直刀、鉄鏃が検出された。
両者の古墳は、七世紀のものと推定している。(「沼南町史」より)


船戸古墳群の周辺図