神崎神社|香取郡神崎町神崎本宿の神社

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神崎神社|国指定天然記念物のなんじゃもんじゃの木、式外社子松神

神崎神社の概要

神崎神社は、香取郡神崎町神崎本宿にある神社です。神崎神社の創建年代等は不詳ながら、大浦沼二つ塚より現在の地に白鳳2年(651年)遷座したとされ、元慶3年には正六位上から従五位下に神階を授けられ、延喜元年(901)に編纂された史書『三代実録』に「子松神」と記載される古社(式外社)です。室町時代には神領700町歩を領有、徳川家康の関東入国翌年の天正19年(1591)には社領20石の御朱印状を受領、近郷47ヶ村の鎮守として祀られていました。六所鎮守・神崎大明神・神崎大社などと称せられていましたが、明治維新後神崎神社と改称、明治6年郷社に列格、大正10年県社に昇格しています。本殿脇の「なんじゃもんじゃの木」は国天然記念物に指定されています。

神崎神社
神崎神社の概要
社号 神崎神社
祭神 天鳥船命、大己貴命、少彦名命、面足命、惶根命
相殿 -
境内社 地主稲荷神社、三峯神社、金刀比羅宮、鹿島祠・香取祠・かまど祠
例祭日 御田植祭4月第二日曜日、流鏑馬祭5月5日、御舟木祭3月中の午日
住所 香取郡神崎町神崎本宿1944
備考 式外社



神崎神社の由緒

神崎神社の創建年代等は不詳ながら、大浦沼二つ塚より現在の地に白鳳2年(651年)遷座したとされ、元慶3年には正六位上から従五位下に神階を授けられ、延喜元年(901)に編纂された史書『三代実録』に「子松神」と記載される古社(式外社)です。室町時代には神領700町歩を領有、徳川家康の関東入国翌年の天正19年(1591)には社領20石の御朱印状を受領、近郷47ヶ村の鎮守として祀られていました。六所鎮守・神崎大明神・神崎大社などと称せられていましたが、明治維新後神崎神社と改称、明治6年郷社に列格、大正10年県社に昇格しています。

境内掲示による神崎神社の由緒

神崎神社
白鳳時代に大浦沼二つ塚より現在の地に遷座し、明治6年に郷社、大正10年県社に昇格しました。7000壺あまりの境内は「神崎の森」と呼ばれ、全域が県の天然記念物に指定されています。また、本殿脇には国指定天然記念物の「なんじゃもんじゃの木」があります。御祭神は天鳥船命、少彦名命、大己貴命、面足命、惶根命であり、交通・産業守護の神として深く信仰されています。(境内掲示より)

境内掲示による神崎神社の由緒

神崎神社
この神社は、天鳥船命、少彦名命、大己貴命をまつっています。白鳳二年の創建で、古くは子松の神、神崎大明神と称され徳川時代は代々御朱印二十石を寄せられました。
境内林は、「神崎森」と呼ばれ天然記念物に指定され、学術上も貴重な森として保護されています。また、境内の大クス「なんじゃもんじゃ」は、国指定天然記念物です。(環境庁・千葉県掲示より)

「千葉県神社名鑑」による神崎神社の由緒

白鳳二年、常陸国と下総国との境である大浦沼二つ塚より現在の地に遷座した。『三代実録』所載の子松神社で、元亀・天正の頃まで、神領七〇〇町歩を有した。徳川時代は、代々御朱印二〇石を寄せられた。六所鎮守、神崎大明神、神崎大社等と称せられていたが、明治元年以降、神崎神社と改称されている。明治六年郷社に列し、大正一〇年県社に昇格した。(「千葉県神社名鑑」より)

「稿本千葉縣史」による神崎神社の由緒

神崎神社
香取郡神埼町大字神崎本宿字雙生山に在り,、境内八百三十六坪、少彦名命・大貴己命・面足命・惶根命を合祀す。社傳に云ふ、白鳳二年二月の創建にして小松神社と稱せりと、蓋し此の地古の小松郷なるに由るならん。元慶三年四月正六位上より従五位下に進む、承平二年國司大江某神崎荘に於て圭田三十六町餘を進む、文應元年三月北條師時改めて四十町九反の地を寄す、天正十九年十一月徳川家康社領二十石を寄附す、當時神崎村外四十七村の鎮守たり、明治六年八月郷社に列せらる、現今神崎本宿外三十三村の鎮守とす。元六所明神・神崎明神の稱ありしを明治の初め之を改む。社地高丘にして北利根川に臨み南麓に銅華表あり、石階を登ること數十級、丘上巨樹蒼鬱たり、又社傍に何物樹あり囘らすに木柵を以てす、末社十四座あり。明治三十九年十二月幣帛料供進指定(「稿本千葉縣史」より)


神崎神社所蔵の文化財

  • 神崎森(国指定天然記念物)
  • 神崎の大クス(国指定天然記念物)
  • 神崎神社文書一巻(県指定文化財)

神崎の大クス

古来、ナンジャモンジャの木といわれ、「利根川図志」・「牧野富太郎科学随筆集」などでも紹介されてきたクスの木の巨木である。
延宝二年(一六七四年)四月、水戸光圀公当社参詣の折、「この木は何というもんじゃろうか」と自問し、感嘆されたという。
それ以来、この御神木は「ナンジャモンジャ」の名をもって広く知れ渡っている。
主幹は明治十年に火災で焼け、高さ七メートルほどで切断されているが、そのひこばえがよく育ち、樹高二十メートル以上に達している。(文化庁・千葉県教育委員会・神崎教育委員会掲示より)

神崎神社文書一巻

神崎神社文書は、鎌倉時代初期の承久三年(一二二一)から室町時代初期応永二年(一三九五)にかけての神崎荘及び神崎神社関係の古文書十二通、室町時代の書写と思われる神崎宮絵図一点が一巻にまとめられています。
千葉県内には中世史料が少なく、当時の荘園・神社領関係を知るうえで極めて重要な史料です。(千葉県教育委員会・神崎町教育委員会・神崎神社掲示より)

神崎神社の周辺図


参考資料

  • 「稿本千葉縣史」
  • 「千葉県神社名鑑」