岩瀬胡籙神社|松戸市岩瀬の神社
岩瀬胡籙神社の概要
岩瀬胡籙神社は、松戸市岩瀬にある神社です。岩瀬胡籙神社は、江戸時代の新田開発により成立した岩瀬村の鎮守として元禄13年(1700)に大六天社と称して創建、明治維新後に胡籙神社と改称、社格制定に際して村社に列格していました。地域の氏子の護持により明治5年社殿建て替え、さらに昭和48年には7,000万円の工費をかけて境内整備・社殿を改築しています。
社号 | 胡籙神社 |
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祭神 | 面足之命、他1柱 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 千葉県松戸市岩瀬6 |
祭日 | 9月29日、御備社祭1月11日 |
備考 | - |
岩瀬胡籙神社の由緒
岩瀬胡籙神社は、江戸時代の新田開発により成立した岩瀬村の鎮守として元禄13年(1700)に大六天社と称して創建、明治維新後に胡籙神社と改称、社格制定に際して村社に列格していました。地域の氏子の護持により明治5年社殿建て替え、さらに昭和48年には7,000万円の工費をかけて境内整備・社殿を改築しています。
「千葉県神社名鑑」による岩瀬胡籙神社の由緒
元禄一三年九月創建。主祭神は面足命で豊作を守る農家の守護神。氏子は三〇戸足らずだが、敬神の念篤く維持。境内の荒地約一、五〇〇坪を整備、一部を処分し、本殿の改築をはじめ拝殿・社務所・鳥居・灯寵・管理者住宅等々総工費七、〇〇〇余万円を投じて昭和四八年一一月完工。
年々崇敬者及び参拝者も増加している。(「千葉県神社名鑑」より)
境内石碑による岩瀬胡籙神社の由緒
胡録神社御遷宮記念
抑々当社は胡録神社と稱し、当所が徳川時代の初期、下総国東葛飾郡岩瀬村として発祥の時、当岩瀬村の鎮守として、斎き奉れるところなり。祭神を面足命となす。本地は十一面観世音なり。現今に至るまで、月々の参籠の際には、その恩真言を唱うる慣わしなり、また、当社を大六天と称するは、本地観世音に因める呼称なり。
当社の境内は、当岩瀬村最勝の地を選べるものにして、眼下に字宮ノ下の水田を見下ろし、東方に高堤、東南に鍛冶塚、南方に中ノ町等の水田を望み相模台の台地と相対す、北方に立野の畑地あり、西方に高畑、遠瀬戸、前耕地及び向山の諸字連なり、現在なお、岩瀬地区の中心地なり。鎮守の神を奉斎するに最適の所なりしというべし。宜なるかな。今日あまたの老松に囲遠せられ床しき限りなり。代々の村民信仰の念熾烈にして、世々、社殿の造営に怠りなく、常に万民の荘厳を維持しなし来りたるものなり。旧社殿は明治五年の造営にかかり、今日已に約壱百年を経たり。様式まことに宜しく、未だ損朽の段階には至らざりしも、年代を経たれば古色覆い難きうらみ無きにしも非ず。因って氏子総代及各有志、一般氏子尾諸氏相寄りて、之が新築再建の志を立て、其の事を計る。則ち、時世に鑑みて、境内地を整え、之が新築の処分等をなし、一方、資財を用意し以って事に当る。偶々三重県桑名市小島建設株式会社が新業に優秀なる技術あることを知り、これに設計並びに施工を依頼す。依って其の社の東京出張所が鋭意その工事に当り、昭和四十七年五月起工、誠心以って工事を進め、仝四十八年十一月目出度く其の竣工を見たり。附帯事業として、華表、敷石、階段、玉垣等、万遺漏なく完備し全面に亘りて所期の目的を達成することを得たり。(境内石碑より)
岩瀬胡籙神社の周辺図
参考資料
- 「千葉県神社名鑑」