金ケ作熊野神社|松戸市金ケ作の神社
金ケ作熊野神社の概要
金ケ作熊野神社は、松戸市金ケ作にある神社です。金ケ作熊野神社は、川越藩郷士石川家五代目石川彦次右エ門氏が天明2年(1782)当地を開拓するために入植、翌天明3年に熊野本宮を勧請して創建したといいます。明治維新後の社格制定に際して村社に列格していました。境内の大師堂は、東葛印旛大師56番です。
社号 | 熊野神社 |
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祭神 | 伊邪奈美命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷大明神 |
住所 | 千葉県松戸市金ケ作362 |
祭日 | 例大祭10月21日 |
備考 | - |
金ケ作熊野神社の由緒
金ケ作熊野神社は、川越藩郷士石川家五代目石川彦次右エ門氏が天明2年(1782)当地を開拓するために入植、翌天明3年に熊野本宮を勧請して創建したといいます。明治維新後の社格制定に際して村社に列格していました。
境内掲示による金ケ作熊野神社の由緒
金ケ作は元武州川越藩郷士石川家五代目石川彦次右エ門氏が、当地の新田開発を計画されて天明二年(一七八二年)元締として九家を引連れて此の地に入植し、一家当り五丁歩を与いて開拓され、翌年七月六日の浅間山の大噴火により大量の火山灰の降灰により、田畠が大祓害を蒙り急遽、氏神様を祭神するに当り、石川彦次右エ門氏が神社敷地として、一四〇九・八三坪を寄進されて、紀州和歌山の熊野本宮より御魂を拝受、其の名も熊野神社と称して祭神されました。(境内石碑(境内掲示より)
「千葉県神社名鑑」による金ケ作熊野神社の由緒
天明三年、当地開拓時に当時一〇人の村民が子育の神・安産の神として崇敬し、祀られたといわれる。(「千葉県神社名鑑」より)
金ケ作熊野神社の周辺図
参考資料
- 「千葉縣東葛飾郡誌」
- 「千葉県神社名鑑」