鵜森稲荷神社|松戸市古ケ崎の神社
鵜森稲荷神社の概要
鵜森稲荷神社は、松戸市古ケ崎にある神社です。鵜森稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、元禄16年(1703)銘の庚申塔が残され、江戸期には江戸川のほぼ中央にあった森に鎮座、数千羽の鵜が住みついていた事から鵜森稲荷神社と名付けられたといいます。明治41年の江戸川改修工事により申塚へ移転、昭和33年当地の石井氏から宅地提供を受けて当地に鎮座しています。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 宇迦御魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 千葉県松戸市古ケ崎550 |
祭日 | - |
備考 | - |
鵜森稲荷神社の由緒
鵜森稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、元禄16年(1703)銘の庚申塔が残され、江戸期には江戸川のほぼ中央にあった森に鎮座、数千羽の鵜が住みついていた事から鵜森稲荷神社と名付けられたといいます。明治41年の江戸川改修工事により申塚へ移転、昭和33年当地の石井氏から宅地提供を受けて当地に鎮座しています。
境内掲示による鵜森稲荷神社の由緒
鵜森稲荷神社
此の神社の歴史は古く元禄十六年(西暦一七〇三年)の庚申塚の記録がある。以後明治末期までは現在の江戸川のほぼ中央にあった森に囲まれそこに数千羽の鵜が住みついていた事から鵜森稲荷神社と名付けられた。当時下谷耕地の水田は無肥料で米作が出来たといわれている。江戸川の川幅は狭く水量が多く急流で野田方面から東京への重要な河川として通運丸の運行など賑やかであった。明治四十一年(西暦一九〇八年)十一月に江戸川改修工事が始まり、県道の買収等により申塚へ移転をしたが度重なる河川並びに県道の改修に関り昭和三十三年(西暦一九五八年)四月に石井良助氏の宅地を譲り受け現在地に安置された。その後昭和五十五年(西暦一九八〇年)三月に三郷有料橋の建設に伴い神社の一角が買収に関り境内での移動等によって一部土地を提供石井和雄議員の努力によって集会場の設置と三郷有料橋下を神社の駐車場として使用することができた。
現在神社は地元六十六軒の氏子によって維持守護されている。(境内掲示より)
鵜森稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「千葉縣東葛飾郡誌」
- 「千葉県神社名鑑」