猫の足あとによる千葉県寺社案内

松戸神社|松戸市松戸の神社

松戸神社の概要

松戸神社は、松戸市松戸にある神社です。松戸神社は、日本武尊東征に際して、吉備武彦・大伴武日等と当地で待ち合わせたところから待所と称され、後に訛って松戸となったとされる地名発祥の社です。この日本武尊御陣営とされる地に、寛永3年(1626)に社殿を創建、御嶽大権現と称していましたが、明治維新後の明治15年松戸神社と改称し、村社に列格、明治39年には神饌幣帛料供進社に指定されていました。

松戸神社
松戸神社の概要
社号 松戸神社
祭神 日本武尊
相殿 -
境内社 秋葉神社、三峯神社、稲荷神社、厳島神社、松尾神社、八坂神社、金比羅神社、八幡神社、庚申神社、水神社、西宮神社
住所 千葉県松戸市松戸1457
祭日 10月18日
備考 -



松戸神社の由緒

松戸神社は、日本武尊東征に際して、吉備武彦・大伴武日等と当地で待ち合わせたところから待所と称され、後に訛って松戸となったとされる地名発祥の社です。この日本武尊御陣営とされる地に、寛永3年(1626)に社殿を創建、御嶽大権現と称していましたが、明治維新後の明治15年松戸神社と改称し、村社に列格、明治39年には神饌幣帛料供進社に指定されていました。

「千葉県神社名鑑」による松戸神社の由緒

寛永三年(一六二六)旧暦九月一八日社殿創建。後に元文元年(一七三八)火災で焼失、その後再建され現在に至る。また安政の大地震で拝殿倒壊し、文久三年(一八六三)に再建される。明治以前まで御嶽大権現と称されたが、明治一五年に松戸神社と改称。(「千葉県神社名鑑」より)

「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」による松戸神社の由緒

松戸神社
字宮前町ニアリ。日本武尊ヲ祀ル。寛永三年九月十八日ノ創立ニシテ神殿修理ノ祝詞及正徳年間御獄大権現ト称シ、明治ニ至リテ御獄大神ト改メ、更ニ明治十五年松戸神社ト改称シ村社ニ列セラレ次デ三十九年十月ヨリ幣帛料ヲ進セラル。第二ノ華表ニ掲ゲタル社名ノ額ハ故有栖川熾仁親王殿下ノ御染筆ニシテ、社内合天井ノ竜神ハ佐竹永湖氏ノ画キシモノナリトイフ。坂川ニ架セル潜竜橋ヲ波リテ神殿アリ、拝殿間口四間・奥行三間、廻廊間口三間半・奥行ニ間、社殿間口一間・奥行五尺ニシテ宏麗森厳神威自ラ機ヲ正サシム。
境内五百四十五坪、祭日ハ十月十七・十八日ノ両日ニシテ祭官ハ千葉健吉氏ナリ。
口碑伝フル処ニヨレパ景行天皇四十年日本武尊勅ヲ奉シ御東征ノ時、総ノ国湊郷(今船橋トイフ)ニ到リ給ヒ掃地ニ祭場(旧舟橋海神ニアリ)ヲ設ケ、御親ラ伊勢皇太神ヲ遥拝シ給ヒ凶徒降伏ノ御祈願アラセラレ海上ヨリ一面ノ神鏡ヲ得給ヒ、仮ニ祭場(后舟橋町五日市ニ遷座)ニ斎奉給フ。然シテ此地ニ至ラセラレ、従将吉備武彦連大伴武日連等ヲ待合給ヒテ蝦夷ニ到リ給フ。其時ヨリ此地ヲ待所(后訛リテ松戸トイフト云フ)ノ郷ト云フ。
乃、命御功績ノ大ナルヨリ、御陣営ノ地ニ社殿ヲ営ミ鎮守ノ神トシテ崇敬シ奉ルニ至ル云々。其他里人伝テ云フ。水戸中納言光圀卿嘗テ野狩シテ此ノ地ニ来リ、社前ノ傍ノ公孫樹ニ白鳥ノ止ルヲ見テ鷹ヲ合セントスルニ鷹畏懼シテ繙居セルニヨリ、光圀自ラ半弓ヲ執リ直ニ射墜サントス。或人諌テ曰ク。社内ノ小禽ヲ射ンコト必害アラント。光圀激シテ矢ヲ放サントスルニ忽チ弓手彎縮シテ矢意ノ如クナラス。遂ニ矢ハ中央ヨリ折レタリ。光圀愕トシテ其弓矢ヲ納メテ帰ル。輓近二至ル迄、水戸家厚ク崇敬セラレ納ムル所ノ神宝、及其前小田原北条・千葉両家ヨリ納メシ古文書類等モ多ク蔵セラレシガ元文年間火災ニ罹リ悉ク湮滅シタリト云フ。(「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」より)

「稿本千葉縣史」による松戸神社の由緒

松戸神社
同郡(同上)松戸町大字松戸字宮前町に在り、境内五百四十五坪、祭神は日本武尊なり。社傳に云ふ、日本武尊東征の時、暫く此に止り、吉備武彦、大伴武日等と大に軍を整へ給へり、後里民其の址に一祠を建てて之を祀る、因りて地名を待處と稱せしが後轉化して松戸と爲ると。元御嶽大権現と號したりしを明治十五年本稱に改めたり、元文年中火災に罹り、寶器古文書悉く烏有に歸す、境内末社十座あり。明治三十九年十二月幣饌料供進指定。(「稿本千葉縣史」より)


松戸神社の周辺図