矢切神社|松戸市下矢切の神社
矢切神社の概要
矢切神社は、松戸市下矢切にある神社です。矢切神社は、宝永元年(1704)の大洪水により矢切の村民が高台にあたる当地周辺へ移住、当地の鎮守として京都東山の稲荷を勧請して創建、稲荷五社大明神と称していたといいます。明治5年には村社に列格していました。
社号 | 矢切神社 |
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祭神 | 稲倉魂命、菅原道真公、素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 千葉県松戸市下矢切303 |
祭日 | 10月13日 |
備考 | 旧村社 |
矢切神社の由緒
矢切神社は、宝永元年(1704)の大洪水により矢切の村民が高台にあたる当地周辺へ移住、当地の鎮守として京都東山の稲荷を勧請して創建、稲荷五社大明神と称していたといいます。明治5年には村社に列格していました。
「千葉県神社名鑑」による矢切神社の由緒
「神社本庁未包括神社」とのみ記載(「千葉県神社名鑑」より)
「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」による矢切神社の由緒
稲荷神社
松戸町大字下矢切坂ノ上ニ在リ。稲倉魂命・天満神社ヲ合祀ス。八幡山西蓮寺伝ニ云フ。宝永元年六月二十九日、長雨ノ為メ洪水トナリ其ノ水ノ高サ地ヨリ八尺余、為メニ当村民家台畑(今ノ神社ノアル附近)へ登リ居住ヲ定メタリ。当時村民ハ此地ノ鎮守トシテ京都東山ヨリ稲荷ヲ勧請シ奉ル。時ニ伝燈大阿梨法印権大僧都宥真茲ニ依リ稲荷五社大明神ト号シ、毎年九月十九日祭祀ヲ勤メ奉ル者ナリ云々。又天神宮ハ古来ヨリ有リシ場所湿シテ参詣難渋ナルノ故ヲ以テ、正徳三癸巳年十一月屏イ高堤ノ中へ社ヲ移セル旨西蓮寺伝ニ見ユレトモ、合殿セシ年月ハ今考フルニ由ナシ。明治五年、本社ニ対スル氏子多数ノ故ヲ以テ村社ニ列セラル。現在ノ社殿ハ大正四年工費三千七百余円ヲ以テ改築セラレタルモノニシテ、本社四尺四方、御拝殿間口四尺・奥行三尺五寸、拝殿間口三間・奥行二間御拝間口九尺・奥行五尺五寸、境内百十五坪アリ。
祭典ハ十月十九日ニシテ、神宮ハ千葉健吉氏ナリ。境内ハ高燥ノ地ニ位セルヲ以テ、上矢切神明神社ト同シク四方ノ眺望甚夕佳ナリ。境内ニ大己貴命・少名彦命ヲ祀レル疱瘡神社アリ。
大正三年本社殿改築ノ際、旧拝殿屋根裏ヨリ出タル記録ノ写(現物板)
宝永元甲申年六月二十五日、大洪水出充満事、上総・武蔵・下総・常陸四ヶ国人馬共流死事不及印数、依之当村此台江曳越故稲荷大明神宮大堀台江勧請申、当所之鎮守奉崇仰者也
稲荷五社太明神本地愛染明王如意輪観自在也云々
下矢喰村ハ慶長十九年之比ヨリ内(不明)ハ安藤忠兵衛尉領地、外(不明)ハ渡辺太郎左衛門尉領地也、其(不明)賛内ハ弐百拾三石外山忠兵衛尉領、外ハ弐百三十石野間金左衛門尉領(不明)此今外山代之甚之丞殿迄及三代、中外山五郎左衛門尉大堀社地給、下総国小金領内下矢切村遍照房東初馬内芝原村竜泉寺閑居主成就院法印宥真以察勧請(「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」より)
矢切神社の周辺図
参考資料
- 「千葉県神社名鑑」
- 「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」