西木山本久寺|松戸市栗山にある日蓮宗寺院
本久寺の概要
日蓮宗寺院の本久寺は、西木山と号します。本久寺は、日厳上人が元禄3年(1690)に創建したといいます。
山号 | 西木山 |
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院号 | - |
寺号 | 本久寺 |
住所 | 松戸市栗山298 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
本久寺の縁起
本久寺は、日厳上人が元禄3年(1690)に創建したといいます。
「松戸のお寺」による本久寺の縁起
日蓮宗西木山本久寺
矢切の渡し、野菊の墓、里見公園と名所旧跡の並ぶ江戸川沿い中ほど栗山の地にある当山は、大宝三年(七〇三)の創建と伝えられています。のちには真善光寺と称する真言宗の寺院となりました。
慶安三年(一六五〇)十月二日、大本山中山法華経寺第五十世養遠院日厳上人により日蓮宗に改宗。以降、宗門の霊場として栗山村落の信仰を集めてきました。
平成二十三年東日本大震災の影響で本堂が傾きましたが、檀信徒のご尽力により再建し、合わせて境内も整えられ、平成二十五年十一月落慶法要が営まれました。
山内には、本山京都立本寺第二十世、壺日審こと日審上人(一五九九~一六六六)が自作した福子大古久天神、当山第二十七世日鈴上人が寛政七年に開眼した七面大明神が祀られています。(「松戸のお寺」より)
「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」による本久寺の縁起
本久寺
栗山宇佐原下ニ在リ。日蓮宗一致派ニシテ中山村法華経寺ノ末寺ナリ。西木山ト号シ十界曼荼羅ヲ本尊トス。元禄三年祖師日蓮上人五十世法孫当時開山日厳創立ニシテ現住職ハ石川文孝氏也。堂宇間口六間・奥行五間半、庫視間口六間・奥行三間半、境内五百九十五坪アリ。(「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」より)
本久寺の周辺図
参考資料
- 「松戸のお寺」
- 「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」