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西蓮寺|松戸市松戸にある真宗大谷派寺院

西蓮寺の概要

真宗大谷派の西蓮寺は、光明山と号します。西蓮寺は、下総矢喰村(矢切)の杉浦・近藤家などの招聘により三河国刈谷郡権律師釈順誓法師が文禄3年(1594)矢切に創建、慶長18年(1613)には松戸の永井両家の招聘により当地へ移転したといいます。江戸末期には寺子屋が開かれていたことから、明治6年(1873)には松戸小学校が当地で開校されました。

西蓮寺
西蓮寺の概要
山号 光明山
院号 -
寺号 西蓮寺
住所 松戸市松戸1900
宗派 真宗大谷派
葬儀・墓地 -
備考 -



西蓮寺の縁起

西蓮寺は、下総矢喰村(矢切)の杉浦・近藤家などの招聘により三河国刈谷郡権律師釈順誓法師が文禄3年(1594)矢切に創建、慶長18年(1613)には松戸の永井両家の招聘により当地へ移転したといいます。江戸末期には寺子屋が開かれていたことから、明治6年(1873)には松戸小学校が当地で開校されました。

「松戸のお寺」による西蓮寺の縁起

真宗大谷派光明山西蓮寺
当山は、文禄三年(一五九四)三月、将軍家関東御入国の際、下総矢喰村(現在の矢切)の杉浦・近藤家などが釋順誓師を三河国刈谷郡(現在の愛知県刈谷市)より招聘して、下総矢喰村に一宇を建立し、光明山西蓮寺と号したと記録されております。
その後、19年を経た慶長十八年(一六一三)十月、松戸の永井両家の招聘で現地に移転して、今日に至っております。その時期は、関ヶ原の戦いの後、徳川家康公の天下統一が完成された頃です。
当山の歴代住職は教育熱心で、江戸時代末期に、本堂で寺子屋を開き近隣子弟の教育に当たっていたと伝えられています。そして、明治六年(一八七三)には、近隣でいち早く当山を仮校舎として松戸小学校(現中部小学校)が創立されました。
境内には、教え子たちの手で高等小学校第二代校長「小林鎮一郎先生」の碑(筆子塚)が建てられ、松戸の変遷を今も見守っています。(「松戸のお寺」より)

「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」による西蓮寺の縁起

西蓮寺
松戸町字二丁目ニアリ。真宗東派ニシテ本願寺ノ末寺ナリ。光明山ト号シ阿弥陀如来ヲ本尊トス。慶長十八年十月、三河国刈谷郡権律師釈順誓法師ノ開基ニシテ下矢切村ヨリ茲ニ移シタルモノナリ。現在ノ本堂ハ嘉永四年六月ノ建築ニシテ、間口六間四面、境内四百八十坪アリ。庫裡ハ間口九間・奥行五間、大正二年檀信徒ノ寄附金三千六百余円ノ工費ヲ以テ改築セシモノニシテ宏麗ナリ。本寺ニハ宝物トシテ祖師見真大師真筆ノ阿弥陀如来ノ絵像・中祖慧燈大師真筆ノ六宇名号等ヲ蔵セリ。(「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」より)


西蓮寺の周辺図


参考資料

  • 「松戸のお寺」
  • 「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」