廣大山松龍寺|旗本高木正次が創建
松龍寺の概要
浄土宗寺院の松龍寺は、廣大山高樹院と号します。松龍寺は、旗本高木正次が父高木広正の菩提を弔うために、東漸寺八世光蓮社照譽上人頓公大和尚を開山に迎えて慶長18年(1613)小山に創建、高木筑後守(法名高樹院殿前筑州大守心誉宗安居士)が慶安4年(1651)当地へ移転して中興したといいます。下総四郡八十八所霊場49番です。
山号 | 廣大山 |
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院号 | 高樹院 |
寺号 | 松龍寺 |
住所 | 松戸市松戸1505-1 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
松龍寺の縁起
松龍寺は、旗本高木正次が父高木広正の菩提を弔うために、東漸寺八世光蓮社照譽上人頓公大和尚を開山に迎えて慶長18年(1613)小山に創建、高木筑後守(法名高樹院殿前筑州大守心誉宗安居士)が慶安4年(1651)当地へ移転して中興したといいます。
「松戸のお寺」による松龍寺の縁起
浄土宗廣大山松龍寺
廣大山高樹院松龍寺と称する浄土宗寺院です。小金の東漸寺を本寺とし、慶長十八年(一六一三)松戸市小山に開創されました。
開山光連社照誉頓公上人は、東漸寺第八世霊誉円応上人の法脈を継承されています。
開基は徳川家康、秀忠、家光の三代に仕えた旗本高木正次です。父の旗本高木広正の菩提を弔って、松龍寺を建立しました。
当時小山の土地は毎年のように水害にあい、加えて火災で本堂が全焼したため慶安四年(一六五一)に現在地に再建されました。
当時寺域は戸定が丘あたりまで高台にあり、すこぶる美観であったため、徳川八代将軍吉宗、十一代家斉、十二代家慶、一橋慶喜(後の徳川慶喜)が御鹿狩りの御小休所として来訪しました。
毎年8月9・10日四万六千日の縁日には、子育て観音の籾殻塚聖観世音菩薩に多くの善男・善女がお参りされます。また、門前参道では雷除けになるといわれる「とうもろこし市」がひらかれています。(「松戸のお寺」より)
「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」による松龍寺の縁起
松竜寺
松戸町角町ニアリ。浄土宗鎮西派ニシテ小金町東漸寺ノ末寺ナリ。広大山ト号シ、阿弥陀如来ヲ本尊トス。元和元年、東漸寺八世照誉頓公上人ノ開基ニシテ、本町ニ於ケル古利ナリ。現住職ハ伊東芳伝ニシテ堂宇間口七間・奥行八間、更ニ大正六年五月間口二間半奥行二間半ヲ増築ス。境内九百三十八坪アリ。境内ニ弘法大師ノ石像ヲ安置セル外、観音堂一宇アリ。間口三間・奥行二間半ニシテ正観音ヲ本尊トス。(「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」より)
観音堂について
天明四(一七八四)年籾殻塚稲荷(旧松戸二丁目)の境内の籾殻から聖観世音菩薩が現われ当寺に祀られる。
毎年八月十日の四万六千日の縁日には、籾殻塚聖観世音菩薩、子育て観音参りの善男善女が参詣され、種子が多い実をもつとうもろこしは雷除けになると云われ、門前参道では「ともうろこし市」が伝承されている。(境内掲示より)
松龍寺の周辺図
参考資料
- 「松戸のお寺」
- 「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」