平和台大宮神社|流山市平和台の神社
平和台大宮神社の概要
平和台大宮神社は、流山市平和台にある神社です。平和台大宮神社の創建年代等は不詳ながら、建長年間(1249-1256)の創建ではないかといいます。加村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し、村社に列格、地内の八幡神社・稲荷神社・子神社・渡利神社・嚴島神社・大六天社を合祀(遷座)しています。
社号 | 大宮神社 |
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祭神 | 天宇受女命、大國主命、玉依姫命、少彦名命、豊受姫命 |
相殿 | - |
境内社 | 大杉神社、八幡神社、稲荷神社 |
住所 | 千葉県流山市平和台5-44 |
祭日 | 10月9日 |
備考 | - |
平和台大宮神社の由緒
平和台大宮神社の創建年代等は不詳ながら、建長年間(1249-1256)の創建ではないかといいます。加村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し、村社に列格、地内の八幡神社・稲荷神社・子神社・渡利神社・嚴島神社・大六天社を合祀(遷座)しています。
境内掲示による平和台大宮神社の由緒
建立創建は建長年間(西暦一二四九-五六)鎌倉時代と思われるが詳らかでない。この神は神話の中で有名な天の岩戸開きの時に、天人和楽の舞をなされた神であり芸能と夫婦和合の神として古来より近郷の民の信仰が淳かった。
昭和四十年本殿の覆屋、平成六年拝殿、幣殿を新築し今日におよぶ。(境内掲示より)
「千葉県神社名鑑」による平和台大宮神社の由緒
この地方の開発は奈良朝の末期であり、『延喜式』所載の神社にも擬せられる古社である。(「千葉県神社名鑑」より)
「流山市史・近代資料編」による平和台大宮神社の由緒
大宮神社
大宮神社は加の臺、字南谷津といふ所にある村社にして、祭神を天宇豆賣命と申す、社殿間口四尺、奥行四尺、拝殿間口三間三尺、奥行二間、境内坪數五百四十九坪にして官有地第一種なり、古松社頭に聳え、其の周圍山林二反九畝二十七歩を有すと、神官は八木村諏訪神社々掌高市庄吉氏なりと、氏子二百十五戸にして其の由緒未詳なれども、口碑の傳ふ所によれば、加、本行寺別當たりしが何時の頃なるかこの寺火災に罹りしを以て重要なる書類灰燼に歸せしめたりといふ。其の他同區に
八幡神社 祭神 譽田別命 字若宮
稲荷神社 祭神 豊受姫命 字金塚
子の神社 祭神 大國主命 字北谷津
渡利神社 祭神 少彦名命 字坂の下
嚴島神社 祭神 玉依姫命 字町畑
大六天社 祭神 國常立命 字町畑
この六つの神社を大宮神社に合祀の程申請せしといふ(「流山市史・近代資料編」より)
平和台大宮神社の周辺図
参考資料
- 「千葉縣東葛飾郡誌」
- 「千葉県神社名鑑」