桐ケ谷香取神社|流山市北の神社

猫の足あとによる千葉県寺社案内

桐ケ谷香取神社|旧称桐明神、桐ケ谷郷の総鎮守

桐ケ谷香取神社の概要

桐ケ谷香取神社は、流山市北にある神社です。桐ケ谷香取神社の創建年代等は不詳ながら、神護景雲年間(767-770)に当地を開拓した際に経津主命を祀り創建したと伝えられ、桐斎殿とも妃桐明神とも称していたといいます。武門武将の信仰厚く、源頼朝が房総で再起を計る際に家臣安達九郎盛長が祈願、大谷口城主高城下野守胤吉も社領を寄進していたといいます。文政5年(1818-1831)藤原利之等の願いにより、社号を桐明神から香取大神宮へ改号、桐ケ谷郷(上貝塚・桐谷・上新宿・北・小田・谷・上新宿新田)の総鎮守として祀られていました。明治維新後の社格制定に際し明治6年郷社に列格しています。

桐ケ谷香取神社
桐ケ谷香取神社の概要
社号 香取神社
祭神 經津主命、豊玉姫命
相殿 -
境内社 羽黒神社、天神社、稲荷社、三峰神社、雷神社、白山神社、大杉神社など
住所 千葉県流山市北51・小屋75
祭日 10月15日
備考 -



桐ケ谷香取神社の由緒

桐ケ谷香取神社の創建年代等は不詳ながら、神護景雲年間(767-770)に当地を開拓した際に経津主命を祀り創建したと伝えられ、桐斎殿とも妃桐明神とも称していたといいます。武門武将の信仰厚く、源頼朝が房総で再起を計る際に家臣安達九郎盛長が祈願、大谷口城主高城下野守胤吉も社領を寄進していたといいます。文政5年(1818-1831)藤原利之等の願いにより、社号を桐明神から香取大神宮へ改号、桐ケ谷郷(上貝塚・桐谷・上新宿・北・小田・谷・上新宿新田)の総鎮守として祀られていました。明治維新後の社格制定に際し明治6年郷社に列格しています。当社は桐ケ谷郷の地名の由来ともなっており、源賴朝の奥州征討祈願に際して桐樹に吉兆が示されたことから、桐製の下駄を利用しなかったと伝えています。

「千葉県神社名鑑」による桐ケ谷香取神社の由緒

創建年代は不明だが、社記に「称徳天皇御宇神護景雲三己酉三月平国の功神経津主命並に海神豊玉姫命を祀る。而して桐乃斎殿と称す。古来霊顕著なれば上下の崇敬篤く、殊に武門武将の信仰厚く、就中源頼朝公の如きは治承四年石橋山の戦敗れ房総の地に再挙を図り、下総国府に入るや神徳を家臣安達九郎盛長をして戦捷の祈願あり、文治の役再び祈願あり、その功ありしかば修造司を定め社殿を造営せしめた。文政五年祠官藤原利之呑取大神宮を請う」という。明治六年郷社に列し、香取神社と改称す。(「千葉県神社名鑑」より)

「千葉縣東葛飾郡誌」による桐ケ谷香取神社の由緒

香取神社
社傳に曰く、本社の創建は尤も古く武尊東征の頃已に鎮座せりと傳ふと雖も徴證すべきものなし、奉仕者の記録及び傳説によれば、人皇四十八代稱徳天皇の御宇、神護景雲年中荒地を拓き神地を卜し、平國の功神經津主命を祀り、桐斎殿と稱し妃桐明神と改稱したりと云ふ、古来靈驗灼々上下の崇敬甚だ厚く、殊に武将の信仰尠からず、源頼朝公の如きは治承四年石橋山の戰敗れ、房總の地に再擧を圖り、下總の國府に入るや、神徳を傳へ聞き家臣安達九郎盛長をして祈願せしむる所あり、後文治五年奥州征討の役を起すや又盛長を遣し戰捷を祈らしめ、凱旋の後同十月報賽の爲め同人に命じ社殿を營造し神廟を寄進し、國家鎮護の靈場として崇敬彌々篤かりしと云へり、其後永禄年中下總大谷口開花城主高城下野守胤吉公も亦深く尊崇し社領を献し、例祭及巡視に際しては必ず参拝の禮を篤うし幣帛を奉るを例とせりと、加之公は本社分霊を城内に奉祀し武運の長久を禱れしと云ふ。
本社神體は木像を奉安する所なりしが、寶暦年間別當寺桐正山慈眼寺西善院は、本尊薬師如来の像を刻し合祀したりしも、後十一面觀世音の像に改め奉り今尚ほ神殿に奉安すと云ふ、文政五年藤原利之等領主と謀り官に請ひ桐明神の神號を改め香取大神宮と稱し、桐ケ谷七ケ村の總鎮守となせり。其後明治四年佛を分離し更に香取神社と稱し後郷社に列せらる。別當西善院は今や廢寺に歸せりと雖も本社西方畑地の間に遺跡を存し、庭上に連抱の椎の木あり、當時此樹下に奉社祭を行ひたりと、轉た懐舊の感なき能はず、例祭は毎年十月十四、十五の兩日を以て執行し神輿の渡御等あり。
往古當地の豪族たりし、伊藤家は當主安倉氏に至るまで連綿として本社奉仕の任に在りたる縁故等より、別木別體の神像及び神影掛軸並に社殿改築棟上式に用ゐたる幣柱等を蔵せり。
(中略)
里傳に曰く、賴朝奥州の泰衡を撃たんとして盛長を遣し、戰勝を祈るや、境内の桐樹の北枝枯れたり之れ北伐の吉兆を示すなりと、人皆其奇驗を感ぜざるはなかりきと、爾来桐樹製の下駄を用ふるは神威に背くと稱し、之れを用ふるものなしと云ふ。(「千葉縣東葛飾郡誌」より)

「稿本千葉縣誌」による桐ケ谷香取神社の由緒

香取神社
同郡(同上)新川村大字北字明神に在り、慶田理六百十坪、經津主命を祀る、創建年月詳ならず、もと桐明神と號せしを明治初年改稱し、同四年六月郷社に列せらる。古来近郷舊七村(上貝塚・桐谷・上新宿・北・小田・谷・上新宿新田)の鎮守たり、末社五座あり。(「稿本千葉縣誌」より)


桐ケ谷香取神社の周辺図


参考資料

  • 「千葉縣東葛飾郡誌」
  • 「千葉県神社名鑑」
  • 「稿本千葉縣誌」