流山浅間神社|流山市流山の神社
流山浅間神社の概要
流山浅間神社は、流山市流山にある神社です。流山浅間神社は正保元年(1644)に創建、富士塚は明治24年頃に築かれたといいます。
社号 | 浅間神社 |
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祭神 | 木花開耶姫命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 千葉県流山市流山1-153 |
祭日 | 7月第一日曜日 |
備考 | - |
流山浅間神社の由緒
流山浅間神社は正保元年(1644)に創建、富士塚は明治24年頃に築かれたといいます。
「千葉県神社名鑑」による流山浅間神社の由緒
単立法人のため記載なし(「千葉県神社名鑑」より)
「流山市史・近代資料編」による流山浅間神社の由緒
浅間神社
天津大空の高き貴き御山に鎮座す浅間神社は、流山の根郷の、梢北方町の東方にあり、村社にして祭神を木花開耶姫命と申す、創建の年月は正保元年五月なりと、古老の口碑なり、平坦なる地に厳しく丘を築きしは明治廿四五年頃なりといふ、毎年七月一日祭典を行ふ、境内の坪數二百五十八坪にして官有地第一種なりといふ。境内神社天満宮の一社あり。(「流山市史・近代資料編」より)
流山浅間神社所蔵の文化財
- 富士塚(流山市指定有形文化財)
富士塚
美しい富士山を敬い畏れる人々の思いは強く、古くから信仰の対象となっていた。
江戸時代になると、富士山を崇拝する人々が集まって「富士講」をつくり、白衣姿で鈴を振り、六根清浄と唱えて登山し、祈願をしたりした。
富士塚は富士山をかたどって、人工的に築いたもので、信仰の対象に、また本物の富士山を遠くから拝む場所にされている。
この浅間神社の富士塚は、社殿の後ろに溶岩を用いて築かれた大規模なものである。
頂上に明治十九年の「富士浅間大神」の碑をはじめ、中腹には多くの石造物が立てられて、一合目から二合目、三合目・・・と頂上に至る「登山道」がつくられている。(流山市教育委員会掲示より)
流山浅間神社の周辺図
参考資料
- 「千葉縣東葛飾郡誌」
- 「千葉県神社名鑑」