成顕寺|流山市駒木にある日蓮宗寺院

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通法山成顕寺|流山七福神の弁財天

成顕寺の概要

日蓮宗寺院の成顕寺は、通法山と号します。成顕寺は、建治2(1276)年に真言宗寺院として創建したものの、里正(村長)高市重次が日蓮宗に深く帰依したことから、弘安年間(1278-1288)に日蓮宗に改め、成顕院日栄が開山したといいます。流山七福神の弁財天です。

成顕寺
成顕寺の概要
山号 通法山
院号 -
寺号 成顕寺
住所 流山市駒木224
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



成顕寺の縁起

成顕寺は、建治2(1276)年に真言宗寺院として創建したものの、里正(村長)高市重次が日蓮宗に深く帰依したことから、弘安年間(1278-1288)に日蓮宗に改め、成顕院日栄が開山したといいます。

「流山市史・近代資料編」による成顕寺の縁起

成顕寺
成顕寺は、駒木区にあり。通法山と称す。後宇多天皇の建治二年(大正六年を去る一千三百年前)の創建にて、始め真言宗なりしが弘安年間、里正高市重次深く日蓮宗に帰依し、日蓮の高弟日朗上人を請じて開祖とし、大いに堂宇を修して成顕寺を興す。
堂宇の結構壮大にして、四囲の樹木風趣を添え幽邃の寂趣を欠くも閑雅の風また愛すべきものあり。当山龍王堂に安置せる鞍掛大龍王は、行基菩薩の自作にして、中古日朗上人の開眼に懸かる。のち妙法諏訪霊王と改称し、諸病平癒の霊験顕著なるを以て参拝者常に絶えず。(「流山市史・近代資料編」より)


成顕寺所蔵の文化財

  • 鰐口(流山市指定有形文化財)
  • 紙本著色釈迦涅槃図

鰐口

鰐口は神社仏閣の軒先に懸け、参拝者が鉦の緒という布縄を手にし、振って鼓面を打ち礼拝するものである。口が大きく裂けている形から、この名がついたと思われる。
この鰐口は鋳銅製で直径九十センチ、厚さ五十センチ(推定)と大型で、「千住□丁目/金拾両惣世話人中/文政七甲申年(一八二四)七月吉日/千住壱丁目/願主 福嶋屋/江戸神田住 御鋳物師/西村和泉守作/(寄進者名多数))」と刻まれる。(流山市教育委員会掲示より)

紙本著色釈迦涅槃図

釈迦涅槃図は釈迦の入滅に際し、弟子や仏教に帰依した羅漢、更には動物たちまでが嘆き悲しむ様子を描いたものである。
この涅槃図は、図中の落款及び軸裏の貼紙から、宝暦十年(一七六〇)成顕寺第十九世妙宇院日性の時、日暮東雲という人が描いたと知られる。全体に理知的な構図で整った作品である。(流山市教育委員会掲示より)

成顕寺の周辺図