長流寺|流山市流山にある浄土宗寺院

猫の足あとによる千葉県寺社案内

寶泉山長流寺|流山七福神の恵比寿

長流寺の概要

浄土宗寺院の長流寺は、寶泉山廣濟院と号します。長流寺は、了蓮社覺譽大信和尚が慶長11年(1606)に創建、翌12年(1607)に寶泉山長流寺と寺号を与えられて開山したといいます。十四代眞譽誠實和尚の代の天保7年(1836)火災により焼失、元治元年(1864)に再建していいます。流山七福神の恵比寿です。

長流寺
長流寺の概要
山号 寶泉山
院号 廣濟院
寺号 長流寺
住所 流山市流山6-677
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



長流寺の縁起

長流寺は、了蓮社覺譽大信和尚が慶長11年(1606)に創建、翌12年(1607)に寶泉山長流寺と寺号を与えられて開山したといいます。十四代眞譽誠實和尚の代の天保7年(1836)火災により焼失、元治元年(1864)に再建していいます。

「流山市史・近代資料編」による長流寺の縁起

長流寺
寶泉山、長流寺は字宿の中央、裏道通りの東側にあり、山門を入れば本堂の前に銀杏の大樹鬱蒼として茂り、本尊は阿彌陀佛、浄土宗にして今を去る三百年前慶長年間、覺譽大信和尚の開山なりといふ、この和尚、元和五年己未七月十六日入寂せりと、十四代、眞譽誠實和尚に至り、風火の災禍に遇ひ、重要なる什物、悉く焼失し、茲に於て誠實和尚は不撓不屈、其の建立に奔走し、遂に現今の堂宇を見るに至れり、故に同寺の中興といへり、現住職十六代、貫譽廣善上人にして、温厚、篤實、少壮有意の宗教家なり、本堂、間口八間、奥行七間半、境内二段六畝七歩、境外四段三畝二十六歩なりといふ。(「流山市史・近代資料編」より)

「千葉県浄土宗寺院誌」による長流寺の縁起

当寺の開山・了蓮社覺譽聖人大信和尚は、伊勢国の生れであるが、東国布教のため慶長一一年(一六〇六)、流山村に錫をとどめた。その頃、村の東南に「観音松」と呼ばれる老木があり、覺譽上人はこの松の下に草庵を結んで布教したといわれる。翌一二年、本寺である東漸寺八世・霊譽上人によって山号を「寶泉山」、寺号を「長流寺」と称するよう命ぜられた。覺譽上人は在住一三年間、元和五年七月一六日に示寂された。
その後、一四世・眞譽上人の代の天保七年(一八三六)一〇月二九日、夜半の出火により、堂宇は全焼し、古文書・什物等一切を失ったといわれる。この火災は、最近、流山市史資料調査の際、市内芝崎吉野家文書・「天保七年日記帳」によって事実であることが明らかになった。再建は元治元年(一八六四)であることが善導大師像奉安の壁裏に墨書されている。なお当寺開創以来、本年(一九八二)で三七五年を経過したことになる。(「千葉県浄土宗寺院誌」より)


長流寺の周辺図