感応山本覚寺|鬼子母神立像および十羅刹女立像
本覚寺の概要
日蓮宗寺院の本覚寺は、感応山と号します。本覚寺は、建武元年(1334)または正中元年(1324)に創建、松本坊日念上人が開山したといいます。当寺の鬼子母神立像および十羅刹女立像は、流山市有形文化財に指定されています。
山号 | 感応山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 本覚寺 |
住所 | 流山市西平井1432 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
本覚寺の縁起
本覚寺は、建武元年(1334)または正中元年(1324)に創建、松本坊日念上人が開山したといいます。
「流山市史・近代資料編」による本覚寺の縁起
本覺寺
本覺寺は西平井の字根郷といふ所にありて山號を感應といふ、本尊は日蓮大菩薩にして建武元年即ち今を去ること五百六十三年前の創建なりと、宗祖日蓮上人三世の孫の弟子なる日念上人の開山にして中興詳ならず、現住職三十代體如院日實上人なり、本堂間口五間、奥行四間、庫裡間口七間、奥行三間三尺、境内二段四畝十四歩にして官有地なり、而して明治十七年一月七日火災に罹り、庫裡明治十九年、本堂同二十五年再建せられたるものなりと、書類焼失其の他の刹緒を知ること能はず。(「流山市史・近代資料編」より)
「日蓮宗寺院大鑑」による本覚寺の縁起
(大観には正中元(1324)年4月の創立。開山松本坊日念。明治17年1月7日に回禄の災ありとある)(「日蓮宗寺院大鑑」より)
本覚寺所蔵の文化財
- 鬼子母神立像および十羅刹女立像(流山市指定有形文化財)
鬼子母神立像および十羅刹女立像
鬼子母神は仏教説話に説かれる女神で、多くの子を産んだが他人の子を殺して食べるので、仏陀がこれをいましめ仏教に帰依するようになり、守護神となった。古くから出産育児の神としてまつられたが、特に日蓮宗では十羅刹女とともに法華経の行者を擁護するとして崇拝されている。
像は高さ二十~三十センチメートルで、彩色(後補)が美しい。台座裏の墨書銘から、天明十二年(一八四〇)に修理されたことがわかり、それ以前の造立であると考えられる。また小金本土寺のものであったが、本覚寺に移されたと思われる。(流山市教育委員会掲示より)
本覚寺の周辺図