台方麻賀多神社|成田市台方の神社
台方麻賀多神社の概要
台方麻賀多神社は、成田市台方にある神社です。麻賀多神社は、応神天皇の代に印旛国造伊都許利命が雅産靈命を稷山(当地)に、雅日孁命を瀛津宮(船形)に祀り創建、平安時代に編修された延喜式神名帳に記載されている延喜式内社です。近郷5村の総鎮守として祀られ、明治4年には郷社に列格しています。
社号 | 麻賀多神社 |
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祭神 | 稚産霊神 |
相殿 | - |
境内社 | 天日津久神社 |
例祭日 | - |
住所 | 成田市台方834 |
備考 | 延喜式内社 |
台方麻賀多神社の由緒
麻賀多神社は、応神天皇の代に印旛国造伊都許利命が雅産靈命を稷山(当地)に、雅日孁命を瀛津宮(船形)に祀り創建、平安時代に編修された延喜式神名帳に記載されている延喜式内社です。近郷5村の総鎮守として祀られ、明治4年には郷社に列格しています。
「稿本千葉県誌」による台方麻賀多神社の由緒
麻賀多神社
同郡同上(印旛郡舊印旛郡)公津村大字薹方字稷山に在り、境内六百八坪、祭神は雅産靈命。社傳に云ふ、應神天皇二十年印旛國造伊都許利命の創建する所にして、日本武尊東征の時伊勢大廟遥拝の神鏡を以て神體となすと。延喜式載する所の小社たり。古来近郷舊五村(臺方・大袋・下方・伊篠・飯仲)の鎮守にして明治四年三月郷社に列せらる。もと境内に攝社以下三十八座あり、又七井・七臺・神門等あり其の左右に七塚あり、正月七日に七種の菜を七塚に採り之を薦むるを古例とせしが、今皆廢絶して僅に舊称を存するのみ、末社五座あり。明治三十九年十二月幣饌料供進指定(「稿本千葉県誌」より)
境内掲示による台方麻賀多神社の由緒
式内社・麻賀多神社
麻賀多神社は、平安時代に編修された『延喜式』の「神名帳」に記載されている由緒ある神社で、船形区の手黒と、ここ台方区稷山の2社あります。船形社は奥の宮で稚日霊神を、台方社は稚産霊神を、お祭りしています。(成田市教育委員会・麻賀多神社掲示より)
台方麻賀多神社所蔵の文化財
- 麻賀多神社本殿(成田市指定文化財)
- 台方麻賀多神社の神楽
伝伊都許利命墳墓
現在の本殿は、「一間社」の流れ造りで江戸時代中期初頭の寛文13年(1673)に建築されたものです。とくに構造柱の斗栱・木鼻・高欄の擬宝珠などに、創建時の特色がよく残っています。(成田市教育委員会・麻賀多神社掲示より)
台方麻賀多神社の神楽
毎年7月31日に行われる台方の麻賀多神社の大祭において奉納される神楽です。この神楽は、今から400~500年ほど前に、常陸國からこの地方を訪れた万大夫一座が、由緒ある麻賀多神社の尊厳さに感銘し、伊勢神楽の流れを汲む十二神楽のひとつの獅子神楽を里神楽として奉納したことにはじまると伝えられています。
現在は、台方地区と下方地区が年番でその任にあたっています。舞手は、年番に当たった地区の中で、その年(2年間)のうちに結婚した新郎の中から、特に選ばれたものが奉納する習わしになっています。
神楽は、「御神楽」、「巫女神楽」、「里神楽」の三部からなり、さらに「四方固め」、「鈴振りの舞」、「御幣の舞」、「はながかり」等7種の舞に別れ、雄獅子と雌獅子の二匹で舞います。なお、この神楽は、印旛沼近くの鳥居河岸においても奉納されます。(成田市教育委員会・麻賀多神社掲示より)
麻賀多神社の周辺図