船形麻賀多神社|成田市船形の神社

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船形麻賀多神社|成田市船形の神社

船形麻賀多神社の概要

船形麻賀多神社は、成田市船形にある神社です。船形麻賀多神社は、応神天皇の代に印旛国造伊都許利命が雅産靈命を稷山(台方)に、雅日孁命を瀛津宮(当地)に祀り創建、伊都許利命が亡くなった後当地に埋葬されたと伝えられます。平安時代に編修された延喜式神名帳に記載されている延喜式内社で、当社は麻賀多神社の奥宮とされ、明治維新後村社に列格しています。

麻賀多神社
麻賀多神社の概要
社号 麻賀多神社
祭神 雅日孁命
相殿 -
境内社 -
例祭日 -
住所 成田市船形834
備考 延喜式内社



船形麻賀多神社の由緒

麻賀多神社は、応神天皇の代に印旛国造伊都許利命が雅産靈命を稷山(台方)に、雅日孁命を瀛津宮(当地)に祀り創建、伊都許利命が亡くなった後当地に埋葬されたと伝えられます。平安時代に編修された延喜式神名帳に記載されている延喜式内社で、当社は麻賀多神社の奥宮とされ、明治維新後村社に列格しています。

「稿本千葉県誌」による船形麻賀多神社の由緒

麻賀多神社
同郡同上(印旛郡・舊印旛郡)公津村大字船形字手黒に在り、境内七百七十坪、祭神は雅日孁命なり。社傳に云ふ、應神天皇の朝印旛国造伊都許利命、雅産靈命を稷山に祀り、雅日孁命を瀛津宮に祀る、瀛津宮は即ち本社なり、往古麻賀多眞神社と號せしが延喜十八年今の社號に改め、又麻賀多大神宮とも稱せり、貞観・貞治・永正年中官幣祝詞を進め、社宇の修造等世々の領主の寄附せし所なりと。往時攝社以下三十八座あり、共に薬師寺別當之を管す、後漸々廃頽して今僅に六座を存するのみ、社宇美麗ならずと雖も構造大にして内殿に瀛津宮、拝殿に麻賀多大神宮の扁額あり。明治三十九年十二月幣饌料供進指定。(「稿本千葉県誌」より)

境内掲示による船形麻賀多神社の由緒

麻賀多神社は、平安時代に編修された『延喜式』の「神名帳」に記載されている由緒ある神社で、市内台方区稷山と、ここ船形区手黒の二社あります。台方社は稚産霊神を、船形社は奥の宮で稚日霊神をお祭りしています。(成田市教育委員会・麻賀多神社掲示より)


船形麻賀多神社所蔵の文化財

  • 伝伊都許利命墳墓(千葉県指定文化財)

伝伊都許利命墳墓

本古墳は『先代旧事本紀』の中の「国造本紀」に見える”印波国造伊都許利命”の墳墓と伝えられています。墳丘の大きさは、東西辺約35m、南北辺約36m、高さ約5mの方形墳です。
遺体埋納施設は、後期古墳の主体部に多く見られる凝灰質系軟質砂岩の切石積みによる横穴式石室(南側裾部)と、絹雲母片岩の板石を組み合わせた箱式石棺の二施設があります。(成田市教育委員会・麻賀多神社掲示より)

麻賀多神社の周辺図