昌福寺|しもふさ七福神の寿老人
昌福寺の概要
浄土宗寺院の昌福寺は、雲通山智光院と号します。昌福寺は、太蓮社良栄上人昌順和尚人が永正11年(1514)に開山したと伝えられ、明治維新後廃寺となった瑠光山泉壽院(東三井寺)を合寺したといいます。しもふさ七福神の寿老人、。成田組十善講八十八所霊場12番です。
山号 | 雲通山 |
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院号 | 智光院 |
寺号 | 昌福寺 |
住所 | 成田市西大須賀1872 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 月かげ保育園 |
昌福寺の縁起
昌福寺は、太蓮社良栄上人昌順和尚人が永正11年(1514)に開山したと伝えられ、明治維新後廃寺となった瑠光山泉壽院(東三井寺)を合寺したといいます。
「稿本千葉県誌」による昌福寺の縁起
雲通山昌福寺
同郡(香取郡)滑川町大字西大須賀字谷津にあり、境内千二百五十四坪、浄土宗なり、永正十一年三月僧良翁之を創建す。元近傍に瑠光山泉壽院(千手院に作るは誤なりと云ふ)あり、天台宗にして薬師堂あり、堂側に三井あり故に東三井寺と稱す。古鏡及び小刀を蔵す、寺傳に云ふ、平将門の妾桔梗前の携へし所なりと。(鏡六陵にして桔梗華に似たり、故に桔梗前に附會せしならん)。明治の初め寺廢れて後本寺に蔵す。(「稿本千葉県誌」より)
「香取郡誌」による昌福寺の縁起
雲遍山昌福寺
滑川町西大須賀區字谷津に在り域内千二百五十四坪浄土宗名越派にして阿彌陀佛を本尊とす傳へて慈覺の作と爲す寺傳に曰ふ永正十四年丁丑僧昌順之を開創し艮正上人を中興とす雲通山の扁額は知恩院順眞法親王の筆なり(「香取郡誌」より)
「下総町史」による昌福寺の縁起
昌福寺
雲通山智光院と号し、下野国芳賀郡大沢村(栃木県益子町)円通寺の末。本尊は阿弥陀如来。寺伝によれば永正十一年(一五一四) に円通寺開祖良栄上人の法孫良栄上人昌順和尚が聞いたという。しかし、郡誌では山号を雲遍山とし、永正十四年(一五一七)に昌順が良正上人をもって中興とすとしており一致しない。幕末安政二年(一八五五) の昌福寺什物帳によれば、本尊は阿弥陀三尊、他に善導大師・開祖大師(法然)・開山上人像を安置している。また寺所有の土地を十数人に小作地として貸している。かなり裕福な寺院であったと想像される。(「下総町史」より)
昌福寺の周辺図