本國寺|大網白里市大網にある日蓮宗寺院

猫の足あとによる千葉県寺社案内

法流山本國寺|宮谷県が設置された際の県庁所在地

本國寺の概要

日蓮宗寺院の本國寺は、法流山と号します。本國寺の創建年代等は不詳ながら、善興寺と号す真言宗寺院として草創、文明3年(1471)僧日肝が日蓮宗に改め法流山本國寺と改号し中興開山、徳川家康関東入国に際し、天正19年(1591)寺領10石を寄進されています。元和8年(1622)僧日純が檀林を開設、学寮六十宇僧徒千人余を擁し、宮谷檀林と称され、本山妙満寺の輪番上總十箇寺の一つとなっていました。明治2年に宮谷県が設置された際には当寺が県庁となっていました。当寺の木造日蓮聖人坐像は「雨乞いのお祖師さま」と呼ばれ、千葉県有形文化財に指定されています。

本國寺
本國寺の概要
山号 法流山
院号 -
寺号 本國寺
住所 大網白里市大網3002
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



本國寺の縁起

本國寺の創建年代等は不詳ながら、善興寺と号す真言宗寺院として草創、文明3年(1471)僧日肝が日蓮宗に改め法流山本國寺と改号し中興開山、徳川家康関東入国に際し、天正19年(1591)寺領10石を寄進されています。元和8年(1622)僧日純が檀林を開設、学寮六十宇僧徒千人余を擁し、宮谷檀林と称され、本山妙満寺の輪番上總十箇寺の一つとなっていました。明治2年に宮谷県が設置された際には当寺が県庁となっていました。

「稿本千葉県史」による本國寺の縁起

法流山本國寺
同郡同上(山武郡旧山邊郡)大網町大字大網字宮谷に在り、境内二千九百四十五坪、日蓮宗妙満寺派なり、もと本派の檀林にして世に宮谷檀林と稱す、本山輪番上總十箇寺の一なり。維新の後檀林を廢し今宗務所を置く、末寺十九あり。寺傳に云ふ、古昔は善興寺と號し眞言宗たり、文明三年五月僧日肝今の宗に更めて改稱す、之を中興開山と爲すと。天正十九年十一月徳川家康寺領十石を寄す、元和八年僧日純の時檀林を置き學寮六十宇を設く、僧徒千餘人常に修學す、明治二年宮谷縣廳を此に假設し四年之を廢す、爾後學寮廢毀すと雖も、本堂・客殿・祖師堂等皆宏大壮麗にして猶觀る可し、此の地西南北の三方丘阜を負ひ、東の一面開放し老松蒼々として景致極めて佳なり、(「稿本千葉県史」より)


本國寺所蔵の文化財

  • 木造日蓮聖人坐像(千葉県指定有形文化財)
  • 宮谷県庁跡

木造日蓮聖人坐像

本像は、本國寺に伝わった裸形着装形式の日蓮聖人像である。祈雨の霊験あらたかなので「雨乞いのお祖師さま」と呼ばれていた。
平成修理の際に、像内から墨書銘が発見され、天文十五年(一五四六)四月八日に造立され、「大旦那酒井小太郎」「大願主板倉右衛門尉」ほか多くの酒井氏一族の名が記されている。
本堂に向かって左側に、文政四年(一八二一)と昭和八年(一九三三)の雨乞いの日に大雨が降ったこと。後者は昭和八年の大旱魃の時の雨乞いの報恩の思いを伝えている。
なお、本像は通常非公開である。(大網白里市教育委員会掲示より)

宮谷県庁跡

明治2年(1869)新政府により、本国寺を県庁とする宮谷県が設置されました。宮谷県の範囲は、安房、上総をはじめ常陸の一部も含んでいました。明治4年、安房と上総の全域が木更津県として統合され、宮谷県は廃止されました。明治6年6月15日、木更津県と印旛県が合併し、現在の姿に近い千葉県が誕生しました。(境内掲示より)

本國寺の周辺図