青菅稲荷神社|地頭川口摂津守が創祀
青菅稲荷神社の概要
青菅稲荷神社は、佐倉市青菅にある神社です。青菅稲荷神社は、寛永17年(1640)に当地の地頭となった川口摂津守が妙見社と共に当社を建立、明和4年(1767)には京都伏見稲荷の神璽を受け、青菅村の鎮守として祀られてきたといいます。明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治41年妙見社を合祀しています。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 稲倉魂命 |
相殿 | - |
境内社 | 星神社、八坂神社、愛宕大権現、牛頭天王 |
例祭日 | 10月6日 |
住所 | 佐倉市青菅1 |
備考 | - |
青菅稲荷神社の由緒
青菅稲荷神社は、寛永17年(1640)に当地の地頭となった川口摂津守が妙見社と共に当社を建立、明和4年(1767)には京都伏見稲荷の神璽を受け、青菅村の鎮守として祀られてきたといいます。明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治41年妙見社を合祀しています。
境内石碑による青菅稲荷神社の由緒
青菅鎮守稲荷神社改築記念碑
当稲荷神社は江戸時代初期当邑地頭御陣主川口氏が妙見社と共に建立。当時川口氏、献納祭料は妙見社は中田三畝歩の年貢米、稲荷社は供米五升初午五斗の年貢米であった。江戸中期明和四年正月京都伏見稲荷、正官羽倉摂津守より「稲荷社神璽」幷「稲荷社御礼安鎮之証書」を承け以後名実共に当邑の鎮守となった。因に元禄十一年の古文書に
一、妙見壱社高五尺五寸横二尺五寸小宮
御竹藪之内に御座候拝殿鳥居無御座候
一、稲荷壱社高四尺五寸横二尺小宮
稲荷林と申す御林之内に御座候拝殿鳥居無御座候
右両社共先御地頭様御建立被遊候
但右両社共川口摂津守様当村御領分之節御建立被遊候
設楽半左ヱ門所蔵
明治四十一年四月妙見社を郷口壱壱弐番地より本境内稲荷一番地に合祀。昭和廿五年五月官有地境内を無償払下稲荷社所有地とす。昭和四十四年十月木製両部鳥居老朽のため鉄筋稲荷鳥居建立。
禁煙本殿上屋及元治元年建立の拝殿共に毀損し甚だ憂慮の状態であった折から今度祖先共有地売却さるるに当り其の一部を以て建立の基とすべく多くの賛同を得たのでこれを敷衍し総氏子の芳志を以て鉄筋十坪の上屋付社殿を建立す。(境内石碑より)
「千葉県神社名鑑」による青菅稲荷神社の由緒
由緒に関する記載なし(「千葉県神社名鑑」より)
「印旛郡誌」による青菅稲荷神社の由緒
村社稲荷神社
青菅區字稲荷にあり稲蒼魂命甕星神を祀る毎年二月初午に再典を行ふ由緒不詳仝所字郷口村社星神社(元禄六癸酉年八月建立施主川口攝津守)を合祀す社殿間口三間奥行二間氏子三十一戸あり境内百九十一坪(官有地第一種)を有し山本吉蔵社務を掌り管轄廳まで五里二十町あり境内神社二社あり即
一、八坂神社 素戔嗚尊を祀る由緒不詳建物間口二尺奥行三尺
二、愛宕神社 軻遇突知命を祭る由緒不詳石祠なり(神社明細帳)(「印旛郡誌」より)
青菅稲荷神社の周辺図
参考資料
- 千葉県神社名鑑
- 「印旛郡誌」