井野八社大神|佐倉市井野の神社

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井野八社大神|佐倉市井野の神社

井野八社大神の概要

井野八社大神は、佐倉市井野にある神社です。井野八社大神の創建年代等は不詳ながら、当地には井野城があったとされ、井野城の守護として創建された可能性が推測されています。当初十二所大神と称していたものの、四柱を小竹四社大神へ分祀したことから八社大神となったといいます(小竹四社大神項)。井野・青菅の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格していました。

八社大神
井野八社大神の概要
社号 八社大神
祭神 別雷命、天兒屋根命、伊弉冉命、大己貴命、比咩神、大山祇神、保食神、表筒男命
相殿 -
境内社 子安大明神、八坂大神、神明宮
例祭日 10月15日
住所 佐倉市井野1
備考 -



井野八社大神の由緒

井野八社大神の創建年代等は不詳ながら、当地には井野城があったとされ、井野城の守護として創建された可能性が推測されています。当初十二所大神と称していたものの、四柱を小竹四社大神へ分祀したことから八社大神となったといいます(小竹四社大神項)。井野・青菅の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格していました。

境内掲示による井野八社大神の由緒

八社大神の歴史
およそ500年前(室町時代後期)の井野周辺は、関東に勢力を築いた桓武平氏の流れをくむ千葉氏の勢力下にあり、印旛沼に面した臼井城を千葉氏の一族である原氏が治めていました。八社大神が鎮座するこの台地上にも、臼井城の支城として築かれたと推測される井野城があったとされ、発掘調査によって城の遺構の一部が確認されていることから、八社大神は城の守護神として創建された可能性があります。
元々は十二柱の神々を祀り十二社大神と称していたとされますが、後に四柱の神々が他村へ分祀され、八社大神となったと伝えられます。
境内には、江戸時代中期の年号が刻まれた石燈籠等が確認されており、古くから地元の人々に崇められてきました。
井野の守護神である八社様に折に触れてご参拝下さり、ご祭神のご加護を頂き、心安らかな毎日をお過ごし下さい。(境内掲示より)

「千葉県神社名鑑」による井野八社大神の由緒

由緒に関する記載なし(「千葉県神社名鑑」より)

「印旛郡誌」による井野八社大神の由緒

村社八坂大神
井野區字宮の台にあり元井野村と青菅との鎮守たり祭神は別雷命比咩神天兒屋根命大山祇命伊弉冊命保食命大已貴命表筒男命の八神を奉祀す祭典は毎年九月之を行ふ由緒不詳社殿は四尺四面にして拝殿間口三間奥行二間境内は藤代久左衛門外四十三人の共有地にして三百坪あり山本吉蔵社務を掌り氏子四十六戸ありて管轄廳まで四里三十三町あり境内の神社に三社あり即
一、八坂大神 素戔嗚命を祀る由緒不詳建物間口三尺奥行二尺
二、神明宮 大日孁命を祀る由緒不詳建物は間口六尺に奥行三尺
三、子安大神 埴安姫命を祀る由緒不詳建物間口二尺奥行三尺(神社明細帳郷土誌)(「印旛郡誌」より)

※「印旛郡誌」記載の社号「八坂大神」は、「八社大神」の誤植と思われます。



井野八社大神の周辺図


参考資料

  • 千葉県神社名鑑
  • 「印旛郡誌」