上座熊野神社|佐倉市上座の神社
上座熊野神社の概要
上座熊野神社は、佐倉市上座にある神社です。上座熊野神社の創建年代等は不詳ながら、室町時代15世紀頃(1400年頃)の創建ではないかと推定されています。上座の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治41年稲荷神社、皇産靈神社、熊野神社、道祖神社を合祀しています。
社号 | 熊野神社 |
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祭神 | 伊弉諾命、伊弉冊命 |
相殿 | 事解男命、猿田彦命、大己貴命他1柱 |
境内社 | 八坂神社、金比羅神社、足尾・子安・天御柱・国御柱・疱瘡・古峯・三峯合殿 |
例祭日 | 例大祭10月15日、夏祭り(八坂)毎年7月、石尊様(阿夫利)7月27日 |
住所 | 佐倉市上座1045 |
備考 | - |
上座熊野神社の由緒
上座熊野神社の創建年代等は不詳ながら、室町時代15世紀頃(1400年頃)の創建ではないかと推定されています。上座の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治41年稲荷神社、皇産靈神社、熊野神社、道祖神社を合祀しています。
境内掲示による上座熊野神社の由緒
創立は不詳なるも、およそ五六百年前(西暦一四〇〇年頃)の創立と思われる。文化元申子歳六月(西暦一八五一年)本殿建替の記録があり、元熊野大権現と称せられて来たが明治元年四月(西暦一八六八年)熊野神社と改める。
古事記、日本書紀の伝うる所によれば伊弉諾・伊弉冉の二神が力を合せてわが日本の島々を誕生なされ皇室のご祖神に当る天照大御神を生みなされたと伝えている。この神話にながれている信仰は「万物は祖先の神々によって生みなされた」というすべてのものを「生む」という信仰であり、この世の人々が次の荷い事を生んでいくのと同じく永遠の生成発展の信仰である。上座区の産土神(生れ故郷の守り神)として区民の家内安全農業守護の神として信仰を集めてきました。(境内掲示より)
「千葉県神社名鑑」による上座熊野神社の由緒
由緒不詳だが、往時、熊野大権現と称し、明治元年四月現社名に改める。(「千葉県神社名鑑」より)
「印旛郡誌」による上座熊野神社の由緒
村社熊野神社
上座區字後にあり伊弉諾尊伊弉冊尊事解男命稲蒼魂命猿田彦命大己貴命を祭る由緒不詳なれども元熊野大權現と稱せしが明治元年四月今の社名に改む同四十一年十一月四日許可を得て同所字六所無格社稲荷神社字上の田無格社皇産靈神社字後村社熊野神社字一番無格社道祖神社を本神に合祀す毎年九月祭典を行ふ社殿は間口三尺奥行三尺籠殿間口三間半奥行二間半あり外に手洗所一個石燈籠一對あり境内廣さ二百八十五坪(官有地第一種)あり齋藤久次郎社事を掌り氏子七十四人を有し管轄廳まで四里五町あり境内には神社六社あり即
一、八坂神社 素戔嗚尊を祭る由緒不詳建物間口一間奥行九尺
二、阿夫利神社 大山祇命を祭る由緒不詳建物間口五尺奥行六尺
三、琴平神社 大己貴命を祭る由緒不詳石碑なり
四、足尾神社 國常立尊を祭る由緒不詳石碑なり
五、子安神社 木花開耶姫命を祭る由緒不詳石碑なり
六、大杉神社 大直日命を祭る由緒不詳石碑なり(神社明細帳)(「印旛郡誌」より)
上座熊野神社の周辺図
参考資料
- 千葉県神社名鑑
- 「印旛郡誌」