佐倉田町愛宕神社|佐倉市海隣寺町の神社

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佐倉田町愛宕神社|土井利勝公が佐倉城内に創祀

佐倉田町愛宕神社の概要

佐倉田町愛宕神社は、佐倉市海隣寺町にある神社です。佐倉田町愛宕神社は、徳川家康が江戸に芝愛宕神社を慶長8年(1603)に勧請したのに倣い、慶長15年(1610)に佐倉藩主となった土井利勝公が、佐倉城内に創祀、田町(城内地)の鎮守として祀られていたといいます。明治8年に佐倉城内地が軍用地に接収されたため、当地へ遷座したといいます。

愛宕神社
佐倉田町愛宕神社の概要
社号 愛宕神社
祭神 迦具土命(火産霊命)
相殿 -
境内社 天満宮、稲荷神社、五社大明神(天照大神、春日大神、鹿島大神、八幡大神、客仁大神)
例祭日 10月15日
住所 佐倉市海隣寺町102
備考 -



佐倉田町愛宕神社の由緒

佐倉田町愛宕神社は、徳川家康が江戸に芝愛宕神社を慶長8年(1603)に勧請したのに倣い、慶長15年(1610)に佐倉藩主となった土井利勝公が、佐倉城内に創祀、田町(城内地)の鎮守として祀られていたといいます。明治8年に佐倉城内地が軍用地に接収されたため、当地へ遷座したといいます。

境内掲示による佐倉田町愛宕神社の由緒

愛宕様の御本宮は京都右京区嵯峨愛宕町の愛宕山(海抜924メートル)に鎮座。全国に900社余りの分社を有し、防火・火伏の神として崇敬されています。
徳川家康公が江戸幕府を開くにあたり慶長8年(1603年)江戸・芝桜田山(東京都港区・愛宕山)に勧請したのは有名です。
幕府は慶長15年、土井利勝公を小見川から佐倉へ転封させ、江戸の守りとしてこの地に本格的に城郭の建設を命じ、利勝は翌16年から6年余りを掛けて、要塞堅固な城を構築しました。
この折、江戸の町と同じく城内に愛宕神社を祀り、併せて五社明神も祀り、歴代城主を始め家臣が参拝。城地である田町の鎮守社として厚く崇敬した神社です。
幕府が崩壊し廃藩置県が実施され、明治8年境内全域が軍用地になったため、初代の千葉県令、芝原和氏の斡旋により、現在の地に192坪の境内地を取得、佐倉城内より現在の位置に遷座されました。
以後、御殿の改築を重ね、田町全町内の氏神様として現在に至っております。(境内掲示より)

「千葉県神社名鑑」による佐倉田町愛宕神社の由緒

かつて佐倉域内に奉斎されていたが、明治一二年、城地が陸軍用地になったため現在地に奉還した。歴代佐倉城主及び家臣の崇敬厚く、堀田正愛公の掛軸が社宝として蔵される。(「千葉県神社名鑑」より)

「印旛郡誌」による佐倉田町愛宕神社の由緒

村社愛宕神社
海隣寺町鍛冶作にあり火産靈命を祭る元田町字舊城内にありしが明治十二年陸軍省用地となりしを以て移轉す社殿間口二間奥行三間境内百九十二坪(官有地第一種)にして三社を祭る即
一、五社神社 大日孁産知命譽田別命武甕槌命香我脊雄命素ノ宇豆麻佐を祭る由緒不詳間口三間奥行三間半
二、稲荷神社 蒼稲魂命を祭る由緒不詳建物方三尺
三、疱瘡神社 少奈毘古命を祭る由緒不詳建物方三尺
神官は郡司秀綱にて氏子百三十戸を有し管轄廳まで五里あり(神社明細帳)
〇愛宕神社曁五社俱在佐倉田町南五社所祭天照大神八幡大神鹿島大神妙見客人宮凡五座舊在郭内置營之時遷之于此(新編佐倉風土記)(「印旛郡誌」より)


佐倉田町愛宕神社の周辺図


参考資料

  • 千葉県神社名鑑
  • 「印旛郡誌」