大佐倉八幡神社|佐倉市大佐倉の神社
大佐倉八幡神社の概要
大佐倉八幡神社は、佐倉市大佐倉にある神社です。大佐倉八幡神社の創建年代等は不詳ながら、大同元年(806)の鎮座と伝えられ、寛文11年(1671)銘の棟札が残されていたといいます。明治42年に地内の五穀守護五神社、道祖神社、菅原神社、大鳥神社、蛭子大神を合祀しています。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 譽田別命 |
相殿 | - |
境内社 | 浅間神社、麻賀多神社、口之宮神社、将門神社 |
例祭日 | 10月15日 |
住所 | 佐倉市大佐倉194 |
備考 | - |
大佐倉八幡神社の由緒
大佐倉八幡神社は、本佐倉城主千葉介勝胤が明応3年(1494)に創祀、徳川家康の関東入国に際して、天正18年(1590)社領20石の御朱印状を受領、大櫻山宝珠院が別当を勤め、二町十ヶ村(本佐倉町・酒々井町、大佐倉・本佐倉・酒々井・墨・尾上・下臺・中川・上岩橋・柏木・八木野)の総鎮守として祀られていました。明治42年に地内の五穀守護五神社、道祖神社、菅原神社、大鳥神社、蛭子大神を合祀しています。
「千葉県神社名鑑」による大佐倉八幡神社の由緒
明応三年六月、本佐倉城主千葉介勝胤の創祀する神社で、その後千葉介平胤は田地及び一百疋を納め、徳川家康は天正一八年に社領として二〇石を献げた。境内社の将門神社、口之宮神社は平将門、佐倉宗吾を祀るとして研究諸説あり著名である。(「千葉県神社名鑑」より)
「稿本千葉縣誌」による大佐倉八幡神社の由緒
八幡神社
同郡同上(舊印旛郡)内郷村大字大佐倉字大桜に在り、境内千百坪、譽田別尊を祀る。社傳に云ふ、本佐倉城主千葉勝胤之を創建し、神田若干を進め、弘治三年九月千葉富胤社領三百貫を寄せ、天正十九年徳川家康社領二十石を寄附す、古来舊二町(本佐倉町酒々井町)十村(大佐倉・本佐倉・酒々井・墨・尾上・下臺・中川・上岩橋・柏木・八木野)の鎮守たり。(「稿本千葉縣誌」より)
「印旛郡誌」による大佐倉八幡神社の由緒
無格社八幡神社
大佐倉區字櫻にあり譽田別命を祭る開基年月不詳明應三年六月本佐倉城主千葉介勝胤蒙神夢之を祠し修覆料として御一代田地御寄付附被下其後弘治三年九月より千葉介平胤當社領として田地及一百疋御寄附被下其後天正十八年從東照宮様社領として廿石被下置候本由緒不詳社殿間口一間一尺奥行一間一尺八寸境内一千百坪(官有地第一種)郡司秀綱社務を掌り氏子八十六戸ありて管轄廳まで六里なり(神社明細帳)〇(成田参詣記云)八幡社は大佐倉村にあり社領二十石(天正十九年辛卯十一月)の傳詳ならず八月十二日の祭禮あり此日酒々井へ神幸競馬の祭あり別當を大櫻山寶樹院と云開基詳ならず中興は永徳三年なり(什物に其年號をしるしあるよし佐倉風土記にのすれど今散失ぬ)〇(下總國舊事老云)八幡社在大佐倉村祭日八月十二日未知其来由祭日八月十二日別當寶珠院(新義眞言宗隷京師醍醐三寶院回國雑記所云稲穂別當坊蓋之)社領廿石(天正十九年辛卯十一月付)(「印旛郡誌」より)
大佐倉八幡神社の周辺図
参考資料
- 千葉県神社名鑑
- 「稿本千葉縣誌」
- 「印旛郡誌」