生谷弁財天|王子台6丁目より遷座
生谷弁財天の概要
生谷弁財天は、佐倉市生谷にある神社です。生谷弁財天は、寛文年間(1661-1673)に生谷松山の水源地に建立されたと伝えられます(「印旛郡誌」では明和元年(1764)の創立と記載)。明治維新後の社格制定に際し無格社(国家神道の中で神社として認められている)とされていました。長患いせずに「ポックリ」大往生するとして信仰を集めていましたが、臼井生谷土地区画整理事業実施に伴い当地へ遷座したといいます。
社号 | 弁財天 |
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祭神 | 弁財天 |
相殿 | - |
境内社 | - |
例祭日 | 10月20日 |
住所 | 佐倉市生谷 |
備考 | - |
生谷弁財天の由緒
生谷弁財天は、寛文年間(1661-1673)に生谷松山(王子台6丁目)の水源地に建立されたと伝えられます(「印旛郡誌」では明和元年(1764)の創立と記載)。明治維新後の社格制定に際し無格社(国家神道の中で神社として認められている)とされていました。長患いせずに「ポックリ」大往生するとして信仰を集めていましたが、臼井生谷土地区画整理事業実施に伴い当地へ遷座したといいます。
境内石碑による生谷弁財天の由緒
弁天様由来記
当神社は寛文年間(一六六一年頃)に生谷松山一番地に霊水の湧くといわれる水源地に建立され無病息災長生きのうえ、最期は美しく老い、長患いせずに「ポックリ」大往生するという霊験あらたかな神社として近隣の信仰をあつめておりましたが、臼井生谷土地区画整理事業実施に伴い今の王子台六丁目(記念碑あり)から当地に遷座されたもので近年特に御利やくがあると言われ評判になっており、毎月二十日が縁日で十月二十日がお祭りとなっております。
平成四年(一九九二年)十月吉日
この由来記碑は佐倉都市環境整備生谷基金によって建立されたものである。
平成十三年八月吉日 佐倉市生谷神社役員(境内石碑より)
「印旛郡誌」による生谷弁財天の由緒
嚴島神社
無格社
生谷區字松山
明和元年八月十五日創立元辨財天ト稱シタリシヲ明治元年四月今名ニ改ム
社殿間數-
境内坪數三三六坪民有第二(「印旛郡誌」より)
生谷弁財天の周辺図
参考資料
- 千葉県神社名鑑
- 「印旛郡誌」