小篠塚城址。佐倉市小篠塚にある旧跡・名所
小篠塚城址の概要
小篠塚城址は、佐倉市小篠塚にある名所旧跡です。小篠塚城址は、古河を追われた古河公方足利成氏が、千葉氏を頼り文明3年(1471)に当地に拠って2年間滞在した居館跡で、その後古河公方足利政氏高基父子も明応11年(1502)に3年間滞在したとされます。平成13年(2001)小篠塚城址として整備されています。
旧跡・名所名 | 小篠塚城址 |
---|---|
みどころ | 佐倉市指定文化財 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 佐倉市小篠塚 |
備考 | - |
小篠塚城址の縁起
小篠塚城址は、古河を追われた古河公方足利成氏が、千葉氏を頼り文明3年(1471)に当地に拠って2年間滞在した居館跡で、その後古河公方足利政氏高基父子も明応11年(1502)に3年間滞在したとされます。平成13年(2001)小篠塚城址として整備されています。
境内掲示による小篠塚城址について
佐倉市指定文化財
小篠塚城址の御案内
平安末期、両総平氏による開拓と現地支配
房総では、長元元年(1028)に起きた平忠常の乱後、忠常の子孫たちが戦いによって荒れ果てた上総、下総の各地を再開拓。この一族を両総平氏と呼びます。佐倉市域の荘園(印東荘)では、印東氏を名乗る両総平氏が現地を支配。また、この荘園は比叡山延暦寺などを領主としていました。
1248(建長元年)~1410(応永17年)
千葉宗家直臣が知行(平河新兵衛入道、平河左衛門四郎、宍倉七郎左衛門入道等が所領を有していた)
1471(文明3年)~1472(文明4年)
古河落城、成氏千葉氏を頼る
古河公方 足利成氏 小篠塚城に動座
1502(明応11年)~1504(永正元年)
古河公方足利政氏高基父子 小篠塚城に動座(入城より3年間)
※各種文献を参考、上記のようにいわれております。
2001(平成13年)
城址園工事着手(資料提供 佐倉市教育委員会掲示より)
小篠塚城址の周辺図
参考資料
- 「印旛郡誌」