善養院|六崎組十善講
善養院の概要
佐倉市馬渡にある真言宗豊山派寺院の善養院は、慈光山全福寺と号します。善養院の創建年代等は不詳ながら、当地は千葉と佐倉を結ぶ街道の要衝として古くより栄え、近年まで馬渡域内に虚空蔵堂、阿弥陀堂、薬師堂を擁していました。当寺境内は佐倉市市民文化資産に、境内大師堂は六崎組十善講21番、24番、54番となっています。
山号 | 慈光山 |
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院号 | 善養院 |
寺号 | 全福寺 |
住所 | 佐倉市馬渡889 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
善養院の縁起
善養院の創建年代等は不詳ながら、当地は千葉と佐倉を結ぶ街道の要衝として古くより栄え、近年まで馬渡域内に虚空蔵堂、阿弥陀堂、薬師堂を擁していました。
「印旛郡誌」による善養院の縁起
全福寺
馬渡區字本宿にあり慈光山全養院と號し新義眞言宗豊山派に屬し地蔵菩薩を本尊とす千葉郡千城村金親金光院の末寺なり堂宇間口七間奥行五間三尺庫裏間口八間奥行三間三尺境内五百九十八坪(民有地第一種)にして寶満寺住職岡本秀明寺務に鞅掌し檀徒四百二十五人あり管轄廳まで三里五町境内佛堂一宇あり即
一、弘法大師堂 弘法大師を本尊とす建物方六尺由緒不詳(寺院明細帳郷土誌)(「印旛郡誌」より)
善養院所蔵の文化財
- 下総まわたし宿善養院境内と阿弥陀堂周辺(佐倉市市民文化資産)
下総まわたし宿善養院境内と阿弥陀堂周辺
善養院本堂は、もと八坂神社の北東にあった薬師堂を現在地に移築したもので、江戸時代後期の建造物である。境内は台地の中腹に位置し、大師廻りの札所である大師堂や地域内居住戦没者の慰霊碑、江戸期の墓石群がある。
また、阿弥陀堂には文化元年(一八〇四)寄進銘の木造阿弥陀像が安置されており、周囲の墓地には戦没者の墓碑などがある。下総まわたし宿の他の文化資産と共に地域の歴史を知る上で貴重な文化資産である。(佐倉市教育委員会掲示より)
善養院の周辺図
参考資料
- 「印旛郡誌」