本佐倉愛宕神社|印旛郡酒々井町本佐倉の神社
本佐倉愛宕神社の概要
本佐倉愛宕神社は、印旛郡酒々井町本佐倉にある神社です。本佐倉愛宕神社は、長熊廃寺の地に鎮座、千葉介一九代輔胤が本佐倉城を築いた文明年間(1469-1487)に(当地に創建した愛宕山文珠寺の)将軍地蔵として創祀したといいます。愛宕山文珠寺は、江戸時代末期に廃寺となり、明治維新後、将軍地蔵を愛宕神社と改めたようです。境内の庚申塔は、国道51号線の拡幅工事により昭和45年移設されたもので、酒々井町有形文化財に指定されています。
社号 | 愛宕神社 |
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祭神 | 火具土命 |
相殿 | - |
境内社 | 双体道祖神、御嶽神社、大鷲神社、子安神社 |
例祭日 | 10月15日 |
住所 | 印旛郡酒々井町本佐倉376 |
備考 | - |
本佐倉愛宕神社の由緒
本佐倉愛宕神社は、長熊廃寺の地に鎮座、千葉介一九代輔胤が本佐倉城を築いた文明年間(1469-1487)に(当地に創建した愛宕山文珠寺の)将軍地蔵として創祀したといいます。愛宕山文珠寺は、江戸時代末期に廃寺となり、明治維新後、将軍地蔵を愛宕神社と改めたようです。
「千葉県神社名鑑」による本佐倉愛宕神社の由緒
明治以前は将軍地蔵と称号した。文明年間、千葉介一九代輔胤が本佐倉城を築いたころが創祀とされる。(「千葉県神社名鑑」より)
「酒々井町史」による本佐倉愛宕神社の由緒
愛宕神社
愛宕神社(無格社)は本佐倉字南大堀にあり、本佐倉の鎮守である。佐倉市長熊・上代と境を接した地にあり、長熊の五良神社と上代の熊野神社は、ともに至近の地である。境内地は広く、参道はうっそうと繁った杉並木で約二〇〇メートルの長さを持つ。境内地の一部は奈良時代の寺院、長熊廃寺と複合しており、古代文化の栄えた地として知られている。社殿は明治初期のものと推定されるが、流造り、欅材を使い、彫刻を含めて神社としては当町屈指の建造物である。
由緒
神仏混交時代は愛宕山文珠寺に属し、将軍地蔵とも称したる事ある由伝う。現在社殿は同時代のものの如く古色蒼然たり。尚文殊寺は中古暴風にて破損廃寺となる(神社庁台帳)。(「酒々井町史」より)
「印旛郡誌」による本佐倉愛宕神社の由緒
愛宕神社
無格社
本佐倉村字南大堀
加茂建角命
由緒不詳
社殿間數間口三間奥行二間
境内坪數七四九坪官有第一
神官郡司秀綱
氏子數二六戸
管轄廳迄距離五里三町四十一間
備考拝殿間口一間奥行一間(「印旛郡誌」より)
本佐倉愛宕神社所蔵の文化財
- 本佐倉の庚申塔一基
本佐倉愛宕神社の周辺図