酒々井下宿麻賀多神社|印旛郡酒々井町酒々井の神社

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酒々井下宿麻賀多神社|印旛郡酒々井町酒々井の神社

酒々井下宿麻賀多神社の概要

酒々井下宿麻賀多神社は、印旛郡酒々井町酒々井にある神社です。酒々井下宿麻賀多神社の創建年代等は不詳ながら、酒々井の地は天喜年間(1053)に村落として成立、その際に印旛郡域東南部に数多く鎮座する麻賀多神社が創祀されたと推定されています。長禄元年(1457)に千葉輔胤が本佐倉城を築城すると、天正18年(1590)に滅ぼされるまで城地鎮護の神として崇敬されていたといいます。明治維新後の社格制定に際しては無格社とされたものの、明治43年字内方の妙見神社、字川場の水神社、字東台の愛宕神社、字粟ノ洲の無格社粟島神社を合祀しています。

酒々井下宿麻賀多神社
酒々井下宿麻賀多神社の概要
社号 麻賀多神社
祭神 稚産霊命
相殿 天香々瀬男命、火具土命、水波乃売命、少彦名命
境内社 粟島神社、大杉神社、妙見神社、白旗神社、水神社、山王神社、愛宕神社、天神社二社、
例祭日 10月15日
住所 印旛郡酒々井町酒々井204
備考 -



酒々井下宿麻賀多神社の由緒

酒々井下宿麻賀多神社の創建年代等は不詳ながら、酒々井の地は天喜年間(1053)に村落として成立、その際に印旛郡域東南部に数多く鎮座する麻賀多神社が創祀されたと推定されています。長禄元年(1457)に千葉輔胤が本佐倉城を築城すると、天正18年(1590)に滅ぼされるまで城地鎮護の神として崇敬されていたといいます。明治維新後の社格制定に際しては無格社とされたものの、明治43年字内方の妙見神社、字川場の水神社、字東台の愛宕神社、字粟ノ洲の無格社粟島神社を合祀しています。

境内掲示による酒々井下宿麻賀多神社の由緒

社伝に曰く酒々井の地は後冷泉天皇の天喜年間(一〇五三年)発祥せし部落にして、麻賀多神社はこのとき創祀され、長禄元年(一四五七年)千葉輔胤この地に城を築きしより、その滅亡の天正十八年(一五九〇年)迄本佐倉城主千葉介、城地鎮護の神として崇敬厚く深く信仰したり云々(千葉県神社庁宗法台帳)
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古代の地麻の産地にして麻県(まのあがた)が転訛し麻賀多の名となりしという、印波(印旛)国造りの氏神として印旛沼東南部に二十二社在り、祭神全て稚産霊命なり。 (境内掲示より)

「千葉県神社名鑑」による酒々井下宿麻賀多神社の由緒

社伝によれば、後冷泉天皇の天喜年間の創祀で、本佐倉城主千葉介の崇敬した社という。(「千葉県神社名鑑」より)

「酒々井町史」による酒々井下宿麻賀多神社の由緒

麻賀多神社(酒々井)
酒々井の麻賀多神社(無格社)は字内方(下宿)、酒々井小学校の隣りにある。酒々井の鎮守であるが、日常の管理は下宿・新堀地区で行っている。石垣や玉垣に固まれ、樹令三〇〇余年の棒や椎の大樹の中に鎮座している。祭礼は十月十五日。幟旗が立てられ、山車が出て町中を練り歩き賑やかであったが、久しい間中止されている。
由緒
社伝に日く、酒々井の地は後冷泉天皇の天喜年間発祥せし部落にして、長禄元年千葉氏輔胤この地に城を築きしより、その滅亡の天正十八年迄城地なりしかば、城地鎮護の神として崇敬厚く、農民生成の神として深く信仰したり云々(「酒々井町史」より)

「印旛郡誌」による酒々井下宿麻賀多神社の由緒

無格社麻賀多神社
酒々井村字内方にあり稚産巣日命天香々瀬男命、水波ノ賣命、火具土命、少名彦名命を祭る由緒不詳なれども明治四十三年十二月九日許可を得て酒々井字内方にありし無格社妙見神社字川場にありし無格社水神社仝字にありし無格社水神社字東台にありし無格社愛宕神社字粟ノ洲にありし無格社粟島神社を本社へ合祀す社殿間口一間三尺奥行一間二尺拝殿間口三間三尺奥行二間三尺境内四百二十坪(官有地第一種)あり神官は郡司秀綱にして氏子百五十六戸管轄廳まで五里二十三町とす(神社明細帳)(「印旛郡誌」より)


酒々井下宿麻賀多神社の周辺図