酒々井上宿八坂神社|印旛郡酒々井町酒々井の神社

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酒々井上宿八坂神社|印旛郡酒々井町酒々井の神社

酒々井上宿八坂神社の概要

酒々井上宿八坂神社は、印旛郡酒々井町酒々井にある神社です。酒々井上宿八坂神社の創建年代等は不詳ながら、徳川家康が天正18年(1590)に関東入国、酒々井に宿場町が形成された際、宿と市場の守り神として牛頭天王社が勧請されたといいます。江戸期は勝蔵院が別当を勤め、祭礼に際しては勝蔵院に仮屋が設けられていたといいます。明治維新後、八坂神社と改称、字天野の熊野神社を合祀しています。

酒々井上宿八坂神社
酒々井上宿八坂神社の概要
社号 八坂神社
祭神 須佐之男命、伊邪那岐命、市姫神
相殿 -
境内社 -
例祭日 8月16日-18日
住所 印旛郡酒々井町酒々井1647
備考 -



酒々井上宿八坂神社の由緒

酒々井上宿八坂神社の創建年代等は不詳ながら、徳川家康が天正18年(1590)に関東入国、酒々井に宿場町が形成された際、宿と市場の守り神として牛頭天王社が勧請されたといいます。江戸期は勝蔵院が別当を勤め、祭礼に際しては勝蔵院に仮屋が設けられていたといいます。明治維新後、八坂神社と改称、字天野の熊野神社を合祀しています。

境内配布栞による酒々井上宿八坂神社の由緒

八坂神社
酒々井宿の鎮守で江戸時代には牛頭天王社と呼ばれていました。
神社は酒々井宿の上宿と仲宿の境にあって、旧酒々井の上宿・仲宿・下宿・横町・新堀・停車場と下台村、中川村で祭礼を行なっていました。現在は上宿・仲宿・横町の祭礼となっています。
由緒
天正十九(1591)年、徳川家康が千葉氏の城下に酒々井宿を作るよう命令します。この時に酒々井宿と市場の守り神として勧請されました。
元文二(1737)年九月二十八日の由緒書には「下総国 印旛郡 酒々井村 市姫神祠 神霊石ニ在マスナリ 此亦名ヲ牛頭天王」とあり市神を祀り牛頭天王と名乗ると書かれています。
牛頭天王は、防疫神であることから疫病除け厄除のご利益があります。(境内配布栞より)

「千葉県神社名鑑」による酒々井上宿八坂神社の由緒

由緒に関する記載なし(「千葉県神社名鑑」より)

「酒々井町史」による酒々井上宿八坂神社の由緒

八坂神社
八坂神社(無格社)は酒々井字上宿にある。酒々井の鎮守であるが、現在は上宿・中宿の氏子中で管理している。江戸時代は牛頭天王社と称して、勝蔵院の支配下にあった。享保十三年(一七二八)の酒々井村「寺社幷社堂鋪地書上帳」には
牛頭天王宮弐間四面別当勝蔵院支配拝殿弐間三間御年貢地(中略)
牛頭天王祭礼毎年神輿七月十六日ニ当御高札場前へ仮家立 以上三日之御逗留ニ而一十八日昼時迄本社御場被成候 神主埴生郡郷部村宮崎伊勢守右牛頭天王社地之儀町方村方入受ニ而御座候
右のことから祭礼中、勝蔵院前に仮屋を立てるのは昔からのようである。明治初期の神仏分離令によって勝蔵院より独立し、京都祇園の牛頭天王社が、八坂神社と改めたのにならって社名を変更した。通称は「酒々井の天王さま」といわれ、八月十六日~十八日の祇園祭は、神輿の渡御によって知られている。神輿の渡御は交通事情などによって久しい問中断していたが、近年復活し、祭礼に活気がでてきた。また氏子は「きゅうり」を食べられない禁忌があって、戦前までは固く守られていたようである。(「酒々井町史」より)

「印旛郡誌」による酒々井上宿八坂神社の由緒

無格社八坂神社
酒々井村字上宿にあり須佐之男命伊邪那岐命を祭る由緒不詳なれども明治四十三年十二月九日許可を得て酒々井字天野にありし無格社熊野神社を本社へ合祀す社殿間口五間奥行三間境内百五十八坪(民有地、持主大谷豊治)あり神官は郡司秀綱にして氏子百五十六戸管轄廳まで五里二十一町(神社明細帳)(「印旛郡誌」より)


酒々井上宿八坂神社の周辺図