経胤寺|印旛郡酒々井町本佐倉にある顕本法華宗寺院

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如意山経胤寺|千葉介常胤開基、町指定文化財の本堂

経胤寺の概要

印旛郡酒々井町本佐倉にある顕本法華宗寺院の経胤寺は、如意山と号します。経胤寺は、千葉介常胤が開基となり常胤寺と号する真言宗寺院として康治2年(1143)に創建したといいます。大永元年(1521)に權少僧都日怡上人が法華宗寺院に改宗、元禄元年(1688)佐倉藩主戸田山城守忠昌が当時に帰依し経胤寺と改号、末寺5ヶ寺、寺内に6亡を擁していたました。延宝3年(1675)に建築された本堂は、酒々井町有形文化財に指定されています。

経胤寺
経胤寺の概要
山号 如意山
院号 -
寺号 経胤寺
住所 印旛郡酒々井町本佐倉21-1
宗派 顕本法華宗
葬儀・墓地 -
備考 -



経胤寺の縁起

経胤寺は、千葉介常胤が開基となり常胤寺と号する真言宗寺院として康治2年(1143)に創建したといいます。大永元年(1521)に權少僧都日怡上人が法華宗寺院に改宗、元禄元年(1688)佐倉藩主戸田山城守忠昌が当時に帰依し経胤寺と改号、末寺5ヶ寺(弥勒町妙経寺高岡要行寺・大袋大経寺・榎戸新蔵寺・墨法輪寺)、寺内に6亡を擁していたました。

「酒々井町史」による経胤寺の縁起

経胤寺
如意山経胤寺は本佐倉西屋上り二一にあり。顕本法華宗、京都妙満寺派に属し、本尊は日蓮聖人奠定の大曼荼羅である。
由緒
寺伝によると康治二年(一一四三)、千葉介常胤の開基で、当初は真言宗常胤寺と号して、境内周囲の三方は堀を回らし、面積約四町歩(四ヘクタール)あり、常胤の砦跡と伝えられている。
室町時代の大永元年(一五二一)法華宗に改宗し、江戸時代の元禄年代、佐倉城主戸田山城守忠昌の帰依によって、寺号を経胤寺と改めた。寺領一〇町歩(一〇ヘクタール)を有し、末寺五か寺、寺内に六坊が数えられ、本堂は間口八間、奥行八間三尺、庫裏間口七間、奥行一四間、総門(宝暦年間)、鐘楼(宝永六年)、泰師堂間口五間、奥行六間など大寺としての伽藍が配置されていたといわれており、等身大で重量二〇〇貫(七五〇キログラム)の梵鐘も伝えられていたが、昭和十七年、大東亜戦争中に供出されて今はない。
本堂
延宝三年(一六七五)建立の棟札があって、酒々井町最古の木造建造物である。昭和六年、茅葺きを改め修復したが、江戸中期の建築様式を伝えている建造物として町指定文化財となっている。
境内墓地には幕末のころ、寺子屋の師匠をしていた林田泰次郎の墓、また明治時代の俳壇に大きな足跡を残した原田虎月の墓がある。(「酒々井町史」より)

「印旛郡誌」による経胤寺の縁起

經胤寺
本佐倉村字西屋上りにあり日蓮宗妙満寺派にして如意山と號し本山妙満寺末なり釋迦如来を本尊とす總律康治二癸亥年千葉之介常胤建立其の頃眞言宗の由常胤祖母の墓今に在り大永元年己年日蓮に改宗す時の開基の祖は權少僧都日怡上人なりその頃常胤寺と云ふ元禄元戊辰年領主堀田戸田山城守時代經胤寺と改稱す當山六世日養上人時代印旛郡榎戸村新蔵寺建立年月不詳同八世日貞上人時代印旛郡大袋大經寺建立年月不詳仝郡彌勒町妙經寺建立年月不詳同十世日源上人時代印旛郡高岡村要行寺建立年月不詳右寺四ヶ寺あり堂宇間口八間奥行発見三尺庫裏間口十三間奥行九尺鐘樓間口二間奥行二間玄關間口三間奥行二間惣門間口三間通間二間物置間口四間奥行二間境内二千三百四十坪(官有地第四種)あり住職は綿貫善晥にして實に三十五世に當檀徒一千六百十二人を有し管轄廳まで五里六町三十八間あり境内佛堂一宇あり即
一、日泰堂 日泰上人を本尊とす由緒不詳建物間口九間奥行六間(寺院明細帳)(「印旛郡誌」より)

「稿本千葉縣誌」による経胤寺の縁起

如意山経胤寺
同町(印旛郡酒々井町)大字本佐倉字西屋上にあり、境内千二百八十五坪、日蓮宗なり。康治二年千葉常胤之を創建す、大永元年僧日怡日蓮宗に改む、初め常胤寺と號せしが、元禄元年戸田氏佐倉を領せし時經胤寺と改む、境内に常胤の祖母平常兼の妻某氏の墓ありと云ふ。(「稿本千葉縣誌」より)


経胤寺所蔵の文化財

  • 経胤寺本堂一棟(酒々井町指定有形文化財)

経胤寺本堂一棟

この本堂は、宝形造りトタン葺きのいわゆる「五間堂」で、実長は桁行七間(十二・七メートル)、梁間六・三間(十一・四メートル)の平面をもち、正面に一間の向拝がついている。基礎は粒石を用い、構造柱の床下は八面取りである。向拝柱(径二十五センチメートル)は几帳取りで構造柱と虹梁でつなぎ、本堂周辺に一七〇センチメートル巾の回縁をつけ、床高は一〇三センチメートルである。架構の手法には優れた点がみられ、柱(径二十九~三十二センチメートル)を縁長押、頭貫、台輪で結架し、桁は実肘木つき和様斗栱で支えている。本堂は小屋組及び柱間装置、その他に改補が行なわれているが、棟札に示されている延宝三年(一六七五)建築当時の構造がよくのこり、町内に於ける江戸中期初頭の建築として貴重な一棟である。(酒々井町教育委員会掲示より)

経胤寺の周辺図


参考資料

  • 「酒々井町史」
  • 「印旛郡誌」
  • 「稿本千葉縣誌」