西蔵院|印旛郡酒々井町中川にある真言宗智山派寺院

猫の足あとによる千葉県寺社案内

瑠璃光山西蔵院|千葉氏遺臣が開拓に際し創建

西蔵院の概要

印旛郡酒々井町中川にある真言宗智山派寺院の西蔵院は、瑠璃光山と号します。西蔵院は、千葉氏滅亡により千葉氏遺臣の六家が当地に帰農、当地開拓に際し創建したと伝えられ、明治維新の神仏分離令までは中川水神社、上岩崎大鷲神社の別当を勤めていました。明治6年から明治18年まで中川小学校の校舎に供用されていたといいます。昭和42年に火災により焼失、現在は小ぶりな本堂・薬師堂と大師堂が再建されています。

西蔵院
西蔵院の概要
山号 瑠璃光山
院号 西蔵院
寺号 -
住所 印旛郡酒々井町中川339
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



西蔵院の縁起

西蔵院は、千葉氏滅亡により千葉氏遺臣の六家が当地に帰農、当地開拓に際し創建したと伝えられ、明治維新の神仏分離令までは中川水神社、上岩崎大鷲神社の別当を勤めていました。明治6年から明治18年まで中川小学校の校舎に供用されていたといいます。昭和42年に火災により焼失、現在は小ぶりな本堂・薬師堂と大師堂が再建されています。

「酒々井町史」による西蔵院の縁起

西蔵院
瑠璃光山西蔵院は中川字前田三三九にあり、本佐倉真言宗文殊寺の末寺であったが、文殊寺が廃寺になったので現在は本佐倉吉祥寺の末寺になっている。本尊は地蔵菩薩である。神仏混交時代は水神社、上岩崎の大鷲神社の別当寺であった。
由緒
西蔵院は中世末期、千葉氏の滅亡によって千葉氏遺臣である青木、岡田、木内、石渡、伊藤氏などの草分け六家が、大台山(現東酒々井三~六丁目)から中川に移住、帰農開拓したときに創建されたものと伝えられている。しかし昭和四十二年一月、薬師堂の火災に遭い、古文書類を焼失したため由緒など不詳となっている。
旧本堂兼庫裏は茅葺きの二〇余坪の建物であったが、江戸末期より無住となっていた。明治六年(一八七三)、学制発布によって公立中川小学校が設置され、その校舎となった。初等科と中等科があり教員二名が配属され、明治十八年、岩橋尋常小学校に合併されるまで続いた歴史をもっている。
旧薬師堂は薬師如来を本尊とし、流造り三間堂の立派なもので、「中川の薬師さま」として近隣の人達の信仰をあつめていたが、火災で焼失してしまったのは残念である。現在は旧本堂兼庫裏も取りこわされて、コンクリート造りの本堂、薬師堂となった。両墓制の石塔婆場、公園、青年館などが境内にある。(「酒々井町史」より)

「印旛郡誌」による西蔵院の縁起

西蔵院
中川字前田にあり新義眞言宗智山派にして吉祥寺末なり地蔵菩薩を本尊とす由緒不詳堂宇間口五間半奥行四間境内四百二十八坪(官有地第四種)あり住職は櫻井宥順にして檀徒三十九戸を有し管轄廳まで六里餘なり境内佛堂二宇あり即
一、薬師堂。薬師如来を本尊とす由緒不詳建物二間四面なり
二、大師堂。弘法大師を本尊とす由緒不詳建物一間四面なり(寺院明細帳)(「印旛郡誌」より)


西蔵院の周辺図