東光寺|印旛郡酒々井町酒々井にある真言宗豊山派寺院

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大廣山東光寺|佐倉五か寺の一、酒々井町町議会開会の地

東光寺の概要

印旛郡酒々井町酒々井にある真言宗豊山派寺院の東光寺は、大廣山密蔵院と号します。東光寺は、京都智恩院の俊誉僧正が寛元年間(1243-1247)に創建、(真言宗)佐倉五か寺の一つに数えられ、江戸期には18ヶ寺の末寺門徒寺を擁していました。酒々井町が発足した明治22年には町議会が当寺本堂で開会しています。また、境内の大日如来供養塔一基・酒々井の庚申塔は酒々井町有形文化財に指定されています。境内大師堂は、佐倉組十善講内郷組札所です。

東光寺
東光寺の概要
山号 大廣山
院号 密蔵院
寺号 東光寺
住所 印旛郡酒々井町酒々井1840-1
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



東光寺の縁起

東光寺は、京都智恩院の俊誉僧正が寛元年間(1243-1247)に創建、(真言宗)佐倉五か寺の一つに数えられ、江戸期には18ヶ寺の末寺門徒寺を擁していました(うち12ヶ寺は廃寺)。酒々井町が発足した明治22年には町議会が当寺本堂で開会しています。

「酒々井町史」による東光寺の縁起

大廣山東光寺は酒々井字横町一八四八にある。江戸時代は御室仁和寺末となっていたが、現在は真言宗豊山派、奈良県長谷寺に属している。本尊は胎蔵界大日如来である。鎌倉時代の創建で、佐倉五か寺の一つに数えられている有力な寺院で、多くの下寺と檀信徒を有している。
明治二十二年(一八八九)、町村自治制が施行されて、現在の酒々井町が発足した最初の町議会が東光寺本堂で開かれ、その後も度々町議会や重要な会合に使用された歴史をもっている。
由緒
鎌倉時代の寛元年中(一二四三~一二四七)京都智恩院の俊誉僧正が関東巡行の時、当所を真言密法の霊地として一寺を建立、諸堂を建造した。一寺を建立、諸堂を建造した。大廣山密蔵院東光寺と三号を唱え、客殿、釈迦堂、薬師堂、表門、庫裏などの伽藍が配置されていたが、元禄年中(一六八八~一七〇四)火災に遭って残らず焼失した。現在の本堂はこの後に再建されたものと言われている。
境内には幕末の書家であり、横町付近で塾を開き、多くの門人を養成した高幡南渓の墓と、昭和三十八年、横山紋蔵によって建てられた新四国八十八体建設記念碑がある。(「酒々井町史」より)

「印旛郡誌」による東光寺の縁起

東光寺
酒々井町字横町にあり佐倉五ヶ寺の一なり眞言宗にして長谷寺末なり本尊を大日如来阿彌陀如来とす康元季丁己三月二十七日知恩院二品公俊郷王子俊譽僧正開基明治四十二年十一月二十七日許可を得て同郡富里村新橋字宮ノ下眞乗院を本寺に合併す堂宇間口奥行六間半境内九百三十八坪(官有地第四種)あり住職は酒井諦全にして檀徒二百九十一人を有し管轄廳まで五里二十町九間とす境内佛堂三宇あり即
一、不動堂 不動明王地蔵尊を本尊とす由緒不詳なれども明治四十二年十一月二十七日許可を得て仝郡富里村新橋宮ノ下眞乗院境内地蔵堂を本堂に合併す建物間口九尺奥行九尺なり
二、彌陀堂 阿彌陀如来を本尊とす由緒不詳建物間口一間奥行一間なり
三、大師堂 弘法大師を本尊とす由緒不詳建物間口九尺奥行一間なり
また境内庵室一宇あり(寺院明細帳)東光寺は大廣山と號す酒々井驛に在り宗旨は眞言に屬し建長六年智恩院俊譽上人の開基せし所に係り胎蔵界大日如来を本尊とす寺域千八百三十八坪本堂客殿聖天堂阿彌陀堂弘法大師堂等相連る而して其知地位西に酒々井の市街を控へ南に銚子の街道を繞らし東には翠巒の重疊して四十七谷を爲すあり北には印旛湖の渺茫碧を凝らして遥に筑波日光の諸嶺を浮ぶるあり山水と相持ち水山と相賴り眼界に幾多の好畫題を展べ来るて觀望人を倦ましめず此等も亦元禄二年火災に罹りて今は特記すべきとの什寶を蔵せずと云ふ(日本名勝地誌)(「印旛郡誌」より)

「稿本千葉縣誌」による東光寺の縁起

大廣山東光寺
同郡同上(印旛郡舊印旛郡)酒々井町大字酒々井字横町に在り、境内九百三十八坪、眞言宗御室仁和寺の末派なり。寺傳に云ふ、天文中僧俊譽の開山なりと。(「稿本千葉縣誌」より)


東光寺所蔵の文化財

  • 大日如来供養塔一基(酒々井町指定有形文化財)
  • 酒々井の庚申塔(酒々井町指定有形文化財)

大日如来供養塔一基

この供養塔は、舟形光背に胎蔵界大日如来像が彫像されており、寛文十三年(一六七三)の造立である。酒々井町の石仏としては古い部に属しており、像容が優れ、保存状態もよい。光背部には付近十七か村の人と人数が記されていて、中台村(下台)、小神村(尾上)など旧村名が用いられている。この事によっても歴史資料としても重要である。(酒々井町教育委員会掲示より)

酒々井の庚申塔

この庚申塔は、元は酒々井下り松の新堀入り口三叉路付近に在ったが、旧五一号線の拡張工事に際し、東光寺境内に移されたものである。角柱で、元は笠付きのものであったが、笠石は紛失して今はない。比較的に小型であるが、造像がよいこと、造立年代が古いこと(銘文参照)、造立者の姓名が多く刻まれていることなどから歴史的に価値のあるものである。(酒々井町教育委員会掲示より)

東光寺の周辺図


参考資料

  • 「酒々井町史」
  • 「印旛郡誌」
  • 「稿本千葉縣誌」