清瀧神社|浦安市堀江の神社

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清瀧神社|浦安市堀江の神社

清瀧神社の概要

清瀧神社は、浦安市堀江にある神社です。清瀧神社は、保元2年(1157)の創建と伝えられ、江戸期までは神明宮社と称されていたといいます。境内の堀江水準標石は、河川計画作成の第一歩として、当地から水準測量を始めた「堀江水神標石」で、江戸川の水位の基準となっています。

清瀧神社
清瀧神社の概要
社号 清瀧神社
祭神 大綿積神
相殿 -
境内社 八坂神社、龍神社、道祖神社
住所 千葉県浦安市堀江4-1-5
祭日 例大祭10月15日、御備射祀1月15日、水神祭6月15日
備考 -



清瀧神社の由緒

清瀧神社は、建久7年(1196)の創建と伝えられ、度重なる津波にも再建されてきたといいます。

「浦安市史」による清瀧神社の由緒

清瀧神社は建久七年(一一九六年)の創建といわれ、大海津見神を祀ってある。堀江四丁目一番五号にあり、境内は約一六八三平方メートル、欅の大木一本で建築された精巧華麗な奥殿がある。(「浦安市史」より)

千葉県神社名鑑による清瀧神社の由緒

建久七年の創立。その後、永仁元年の大津波に遭い、社殿が破損し再築、さらに元禄・亭保・寛政各年間同様の難に遭い、安政二年九月再築。拝殿は明治二九年に建立された。大正一二年に社殿を修繕、神輿・狛犬・灯籠が献納された。昭和四六年に、社務所と境内周囲の玉垣が建築され現在に至っている。昭和五七年一0月、本殿の彫刻が市の有形文化財に指定される。(千葉県神社名鑑より)


清瀧神社所蔵の文化財

  • 堀江水準標石
  • 富士塚

堀江水準標石

この水準標石は、江戸川や利根川の水位の基準点として設置されたものです。
明治政府は、明治5年(1872年)オランダから水工技師団を招きました。そのうちの一人、リンド(I.A.Lindo;1848年~1941年)が河川計画作成の第一歩として、この地から水準測量を始め、「堀江水神標石」を設置しました、リンドは、測量の結果、この標石の頂点の高さを基準として江戸川河口の水位ゼロ点の高さをY.P.(Yedogawa Peil;江戸川工事用基準面)としました。Y.P.は、130年以上経った現在も両河川の水位の基準となっています。
Y.P.は、現在の標高の基準となっている東京湾中潮位T.P.yori
0.8402m低くなっています。
堀江水準標石は、歴史的土木建造物として、歴史的・学術的に価値が高いとの判断から、平成19年(2007年)11月18日(社)土木学会より選奨土木遺産として認定されました。(浦安市・浦安市教育委員会・浦安市観光協会掲示より)

富士塚

この山は、富士山を模したもので大正十一年(一九二二年)七月従来からあった山を清滝神社世話人や、富士講中達が住民から墨石の寄贈を受け、改築造したもので、頂上に木花咲耶姫命を祀った石造りの浅間神社があり、登山口の灯篭一対と明神鳥居は地区有志の奉納による。
毎年六月三十日には神前に神楽が奉納され、富士講の人達は境川で水行をとり、体を浄めたあと、真っ白な行衣に白の帯を締め、手甲、脚絆に身を固め、菅笠をかぶり、金剛杖とりんを持って、六根清浄と唱えながら神社に参拝し、翌七月一日富士山の山開きに出発する。
盛況を極めた富士登山も昭和初期には次第にしびれ、今日ではほとんど影をひそめている。(浦安市教育委員会掲示より)

清瀧神社の周辺図


参考資料

  • 「浦安市史」
  • 千葉県神社名鑑