飯綱神社|文明年間創建伝承
飯綱神社の概要
飯綱神社は、八千代市萱田にある神社です。飯綱神社の創建年代等については、文明11年(1479)の創建と伝えられるもの(八千代市教育委員会掲示)、寛永18年(1641)の創建(千葉郡誌)、さらに当地はかつて萱田神保の御厨と呼ばれる伊勢神宮の御厨だったことから、その頃の勧請を推定させるもの(千葉郡誌)など諸説あります。飯綱権現と称し、萱田の産土神として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治43年字熊野の時平神社・熊野神社を合祀しています。飯綱神社本殿・附棟札・幣殿・拝殿や鐘楼、神馬の絵馬・雨乞い祈祷の絵馬など数多くが八千代市文化財に指定されている他、境内大師堂は、吉橋大師八十八所霊場・千葉寺十善講八十八ヶ所霊場30番となっています。
社号 | 飯綱神社 |
---|---|
祭神 | 宇迦御魂命 |
相殿 | - |
境内社 | 子安神社、金刀比羅神社、神明神社 |
例祭日 | 10月24日 |
住所 | 八千代市萱田476 |
備考 | - |
飯綱神社の由緒
飯綱神社の創建年代等については、文明11年(1479)の創建と伝えられるもの(八千代市教育委員会掲示)、寛永18年(1641)の創建(千葉郡誌)、さらに当地はかつて萱田神保の御厨と呼ばれる伊勢神宮の御厨だったことから、その頃の勧請を推定させるもの(千葉郡誌)など諸説あります。文明11年(1479)の創建については、太田道灌持資(1432-1486)が臼井米本小金等など下総上総を攻める際、当地に砦を構え十一面觀世音を当地に奉安、その十一面觀世音が土中から発掘されたと伝えられることに由来するものと思われます。飯綱権現と称し、萱田の産土神として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治43年字熊野の時平神社・熊野神社を合祀しています。
パンフレット「八千代の歴史遺産散歩」による飯綱神社の由緒
飯綱神社
萱田のウブスナ様で、祭神は宇賀魂命(ウガノミタマノミコト)、33年ごとに式年大祭を行う。本殿は安政3年(1856)に再建された。拝殿内の天保6年(1835)の「神馬の絵馬」と同時期と見られる「雨乞い祈祷の絵馬」の大絵馬は共に市指定文化財。本殿周囲を囲む玉垣の彫物の「二十四孝」は、中国に古来から伝わる親孝行説話24話で、全話揃っているのは県内唯一。作者は「下総州香取郡彫物工武内山幸」こと山中幸右衛門邦嘉によって本殿修理の寛政3年(1791)に作られたと考えられている。境内の鐘楼は大変珍しい「袴腰鐘楼」で文化11年(1814)に再建され、入口上の欄間に竜の彫物があって地元で雨乞い時に、池に浮かべたと言われるが盗まれて今はない。他に、式年大祭記念碑(昭和8年1933)、合祀記念碑(時平神社及び熊野神社)、子安塔(文久2年1862)、念仏塔(天保4年1833)、供養塔(安永2年1773)、神祠(文久3年1863)など多数の石造物がある。神社東崖下に、市内2番目に古い庚申塔(延宝元年1673)、道標の刻まれた庚申塔(安永2年1773)などがある(真言供養塔2基、庚申塔8基、二十三夜塔ほか合計15基)。これらは元は北方300m先の麦丸境にあったものが移設されたもので、道標の行き先が合っていない。(パンフレット「八千代の歴史遺産散歩」より)
「八千代市史」による飯綱神社の由緒
飯綱権現
萱田村宇権現後に所在。祭神は宇賀魂命。『県神明細』』には「飯綱神社」とし、由緒は「一由緒 寛永十八年創立」云々と記す。これは神仏判然令以後、「権現」を名乗ることが禁止されたためである。同書には、境内社として子安神社(祭神不詳)・金刀比羅神社(祭神金山彦命)・神明神社(祭神神明大神)を載せ、さらに明治四十三年に字熊野の時平神社(祭神藤原時平大臣)・同字熊野神社(祭神伊弊諾命)を合祀した旨記されている。(「八千代市史」より)
「千葉県神社名鑑」による飯綱神社の由緒
由緒に関する記載なし(「千葉県神社名鑑」より)
「千葉縣千葉郡誌」による飯綱神社の由緒
飯綱神社
大和田町大字萱田に鎮座す。祭神は宇賀魂外二座鎮座せられ寛永十八年勧請せらる。明治四十三年十月一日許可を得て同町村社時平神社熊野神社を本社に合祀す。社殿は南面し、間口二間奥行二間を有す。境内六百二十坪、老樹鬱々として蒼穹に聳え、人をして自ら江襟を正しうせしむ。附属建築物としては鐘樓堂、觀世音、神楽殿等あり。境内神社三社あり、子安神社、金刀比羅神社、神明神社即ち之なり。明治二十二年拝殿を再建したり。同時に拝殿再建碑を建設す。大正三年十月花崗石華表壹基及神楽殿を建設したり。華表は八幡造にして高さ一五尺あり、神楽殿の構造は木造屋根亜鉛葺にして間口九尺奥行二間あり。又是と同時に合祀記念碑を建設す。右神社拝殿屋根從来瓦葺なりしが年々の修繕費を要するのみならず、益々神威を高めんが爲氏子一同協議の上銅葺に葺替ることとし、大正五年四月工事に着手し、仝年六月竣成したり。是の工事費千三百余圓、同時に拝殿屋根葺替記念碑を建設す。
今舊記を按ずるに、萱田は伊勢神宮の御厨の地にして萱田神保の御厨と稱せり(御厨とは御膳調菜の魚鳥蔬菜草實等を奉る荘園をいふ)。是荘園が右神社境内の西隅にありたりと傳へらる。右神社境内に接續する所に十一面觀世音を祀る是は往古太田道灌持資の守本尊にして道灌上杉の命を報じ上總の廳南下總の臼井米本小金等の諸域を攻むる時此處に砦を構へ然して窃かに該像を陣中に奉じ戦勝を祈り、若し戰勝たば此地に安置せんと誓つて公孫樹の下に埋めたりといふ。其後降雪するとも其場所には積雪せず、又時々赫燿たり。故に人々是を怪み發掘し見れば十一面觀世音顯はる。今尚是を祭祀せらる。
祭日は祭祀令に基く公式の祭典の外月々廿四日には祭典を執行し其外臨時祭典を執行することあり。主物唐獅子(一對)、御神燈(貮對)、額(從三位出雲尊福書)、額二面(文居の書畫)、水屋(明治廿一年七月)、石華表(高サ一丈五尺大正三年拾月建設)、制札(大正四年十月廿四日建設)。(「千葉縣千葉郡誌」より)
飯綱神社所蔵の文化財
- 飯綱神社本殿・附棟札・幣殿・拝殿(八千代市指定文化財)
- 玉垣・参道石段・附石坂供養塔・石階再建勧化帳(八千代市指定文化財)
- 飯綱神社鐘楼(八千代市指定文化財)
- 「神馬の絵馬」(八千代市指定文化財)
- 「雨乞い祈祷の絵馬」(八千代市指定文化財)
飯綱神社本殿・附棟札・幣殿・拝殿
飯綱神社は、文明十一年(一四七九)に創建されたと伝えられています。その後、何度か建て替えをしえ、現在の型式は、本殿・幣殿・拝殿の配置から一見すると「権現造」を思わせますが、別々に建てられたものです。
本殿は神体を安置した場所で、正面三間、側面二間の三間社流造というもので、向拝部分に唐破風が付いています。隅の柱を見ると三通りの竜をつけた尾垂木を置き、下に斜め方向に一つの唐獅子を据えています。建築年代は棟札の銘に安政三丙辰年(一八五六)とあり、この時再建されたものと考えられます。
幣殿は本殿と拝殿をつなぐ場所で、拝殿は礼拝するための場所です。幣殿と拝殿は昭和二年に発行された「飯綱神社縁起 付・大和田町案内図」によると明治二十二年(一八八九)に建てられたことがわかります。拝殿も本殿と同様の手法を用いて各隅の獅子は斜め方向に一つ懸けられています。
玉垣は神社のまわりの垣で、切妻風、銅板葺、柱は四角です。屋根を支える組物は二手先で、柱と柱の間には蟇股が据えつけてあります。
参道階段は、高さ十四メートル、総延長二十二・九メートル、幅二・六五メートルの急勾配で安山岩製角材を五十八段(移設前は五十六段)積みで天保三壬辰年(一八三二)に鷺沼の直七と舟橋の勘治郎という石工によって造られたことが親柱に刻まれています。(八千代市教育委員会掲示より)
飯綱神社の周辺図
参考資料
- 「八千代市史」
- 「千葉県神社名鑑」
- 「千葉縣千葉郡誌」