大和田新田下区八幡社|八千代市大和田新田の神社
大和田新田下区八幡社の概要
大和田新田下区八幡社は、八千代市大和田新田にある神社です。大和田新田下区八幡社の創建年代等は不詳ながら、大和田新田は「寛永年間今の豊富村神保新田なる、内田傳兵衛の一族白井與右衛門なるもの、大和田の西部に移住し来りて、開拓に從事す之の今の大和田新田の起因とす(「千葉縣千葉郡誌」)」とされ、延宝年間(1673-1680)頃に新田として成立していることからその頃にされたものと思われます。明治維新後の社格制定に際し村社に列格していました。新川大橋通りの開設に際して境内地を横切る形となったことから、社殿も北側の当地へ移動し改築されています。
社号 | 八幡社 |
---|---|
祭神 | 譽田別命 |
相殿 | - |
境内社 | 大神宮(神明神社)、古峯神社、御嶽社、天神様、金毘羅様、天王様 |
例祭日 | 10月10日 |
住所 | 八千代市大和田新田392 |
備考 | - |
大和田新田下区八幡社の由緒
大和田新田下区八幡社の創建年代等は不詳ながら、大和田新田は「寛永年間今の豊富村神保新田なる、内田傳兵衛の一族白井與右衛門なるもの、大和田の西部に移住し来りて、開拓に從事す之の今の大和田新田の起因とす(「千葉縣千葉郡誌」)」とされ、延宝年間(1673-1680)頃に新田として成立していることからその頃にされたものと思われます。明治維新後の社格制定に際し村社に列格していました。新川大橋通りの開設に際して境内地を横切る形となったことから、社殿も北側の当地へ移動し改築されています。
「八千代市史」による大和田新田下区八幡社の由緒
八幡社
大和田新田字庚塚に所在。祭神は八幡大神。『県神明細』には「一由緒 不詳」とある。(「八千代市史」より)
「千葉県神社名鑑」による大和田新田下区八幡社の由緒
由緒に関する記載なし(「千葉県神社名鑑」より)
「千葉縣千葉郡誌」による大和田新田下区八幡社の由緒
八幡社
大和田町大字大和田新田に鎮座す。祭神は八幡大神なり。創立年月日は不詳なり。明治四十一年社殿を再建し、一層神社神威を高むることを得たり。縣道の傍に亜鉛造の鳥居を建てられ、其れより壹町計り入りて社殿あり。其間並木にして老杉古松繁茂し晝尚暗く、如何にも神々し、社殿は間口一間奥行一間半にして、境内六百二十六坪、四社鎮座す。秋葉神社、天満宮、疱瘡社、天王社是なり。拝殿は間口五間奥行二間にして草葺屋根なり。(「千葉縣千葉郡誌」より)
大和田新田下区八幡社の周辺図
参考資料
- 「八千代市史」
- 「千葉県神社名鑑」
- 「千葉縣千葉郡誌」