八千代台諏訪神社|八千代市無形民俗文化財「高津新田のカラスビシャ」
八千代台諏訪神社の概要
八千代台諏訪神社は、八千代市八千代台西にある神社です。八千代台諏訪神社は、大木八郎兵衛重正などが、当地に入植し、延宝4年(1676)高津新田として成立、大木家が宝暦7年(1757)に諏訪神社を勧請して創建したといいます。2月11日に奉納される「高津新田のカラスビシャ」神事は、八千代市無形民俗文化財に指定されています。
社号 | 諏訪神社 |
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祭神 | 建御名方大神 |
相殿 | - |
境内社 | 天満宮、大杉神社、御嶽神社、子安神、水神、浅間社 |
例祭日 | カラスビシャ2月11日 |
住所 | 八千代市八千代台西9-3-15 |
備考 | - |
八千代台諏訪神社の由緒
八千代台諏訪神社は、大木八郎兵衛重正などが、当地に入植し、延宝4年(1676)高津新田として成立、大木家が宝暦7年(1757)に諏訪神社を勧請して創建、長年に渡り大木家が中心となり社殿修繕や石燈籠・鳥居建立に努めてきたといいます。明治維新後の社格制定に際し村社に列格しています。
パンフレット「八千代の歴史遺産散歩」による八千代台諏訪神社の由緒
諏訪神社
高津新田のウブスナ様で祭神は建御名方大神(タケミナカタオオカミ)。富士塚がある。毎年2月11日には境内でカラスビシャの弓射が行われ、カラスの的を射る。市の指定無形民俗文化財。(パンフレット「八千代の歴史遺産散歩」より)
「八千代市史」による八千代台諏訪神社の由緒
諏訪神社
高津新田字仲西に所在。祭神は建御名方命。『県神明細』には「一由緒 延保四丙辰年九月創立」とあるが、延保は延宝の誤りであろう。(「八千代市史」より)
「千葉県神社名鑑」による八千代台諏訪神社の由緒
延保四年九月建立。(「千葉県神社名鑑」より)
境内石碑による八千代台諏訪神社の由緒
諏訪神社の由来
諏訪神社の改修された礎石の銘文は、正面に「平成十五年度修繕費寄附連名」があります。正面には「由縁」、右面に「諏訪神社胴屋根寄附連名・修繕事由」、裏面に「周施原由」が彫られています。この三つの碑文の内容を歴史的にまとめると次のようになります。
「高津新田は、大木家の先祖である八郎兵衛重正らが当地に入植し、延宝四年(一六七六)六月の検地で幕府領として成立した村です。その後大木家では、開拓が盛大になるようにと念願して宝暦七年(一七五七)ここに諏訪神社をお祀りり鍵元として守ってきました。さらに御霊屋の破損修理までおこなってきました。
五代の大木八郎兵衛豊重は安永九年(一七八〇)にご本社を新しく建てました。
そして十一代大木八郎兵衛隆重は文久元年(一八六一)に獅子を建て、慶応三年(一八六七)には石燈籠と華表(鳥居)を建てる計画を自ら立て、氏子と相談しこれを実現しました。(以下省略)(境内石碑より)
八千代台諏訪神社所蔵の文化財
- 高津新田のカラスビシャ(八千代市指定無形民俗文化財)
高津新田のカラスビシャ
毎年二月十一日に、諏訪神社で行われる神事です。的にカラスを描き、それを弓で射るオビシャでカラスビシャと呼ばれています。
ここ八千代台西地区は、古くは高津新田と言われており、以前は十日に行われていたのでトウカビシャと呼ばれていましたが、三十年位前に祝日の十一日に変更されました。
弓を射るのは氏子総代から始まり、全員が各々数本矢を射ます。最後に手で持った矢でカラスの目に突き刺し豊作を祈願します。その後、場所を写して直会となり、「オトウワタシ」が行われます。
今年の当番と翌年の当番との間で、大根の半分を縦に切ったものを両手に持って塩を付け、お互いに相手の顔に擦りつけた後、オトウ(御神体)を翌年の当番のカシラの背中に差し入れます。直会が終了するとカシラはオトウを背中に入れたまま家に帰り、神棚に安置します。(八千代市教育委員会掲示より)
八千代台諏訪神社の周辺図
参考資料
- 「八千代市史」
- 「千葉県神社名鑑」