豊田神社|香取山神明寺長寿院跡地に村内諸社を遷座
豊田神社の概要
豊田神社は、江戸川区東瑞江にある神社です。豊田神社の創建年代は不詳ですが、新編武蔵風土記稿によると当地周辺(下鎌田村)には香取社、神明社、山王社があったといい、香取山神明寺長寿院が別当寺となっていたといいます。明治初年に香取山神明寺長寿院が廃寺となり、その跡に豊田神社と称して遷座したといいます。豊田神社の祭神が天照大御神・経津主命の二神というところから、長寿院境内に香取社があり、神明社を遷座、神明社を主神として合祀したものと推定できます。境内には、長寿院の名残と思われる葛西大師まいり石碑、馬頭観音石碑などが残されています。
社号 | 豊田神社 |
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祭神 | 天照大御神、経津主命 |
相殿 | - |
境内社 | 浅間神社、八雲神社 |
住所 | 江戸川区東瑞江1-18-1 |
備考 | 旧下鎌田村の鎮守 |
豊田神社の由緒
豊田神社の創建年代は不詳ですが、新編武蔵風土記稿によると当地周辺(下鎌田村)には下鎌田村鎮守の香取社、神明社、山王社があったといい、香取山神明寺長寿院が別当寺となっていたといいます。明治初年に香取山神明寺長寿院が廃寺となり、その跡に豊田神社と称して遷座したといいます。豊田神社の祭神が天照大御神・経津主命の二神というところから、長寿院境内に香取社があり、神明社を遷座、神明社を主神として合祀したものと推定できます。
「江戸川区史」による豊田神社の由緒
豊田神社(東瑞江二丁目五番地三号)
旧下鎌田村の鎮守で村社、創建は不詳であるが天照皇大御神と経津主命をまつり、もと神明社といった。明治初年に別当の長寿院が廃寺になったので、その跡に社殿を建立して豊田神社と改称した。また東瑞江二の三五にあった八幡社は香取大明神、稲荷大明神、山王権現をまつる古社で「内手八幡宮」と称した末社であるが、維持困難のため合祠した。(「江戸川区史」より)
江戸川区教育委員会掲示による豊田神社の由緒
旧下鎌田村の鎮守である。
創建は不詳であるが、天照大御神と経津主命をまつり、もと神明社といった。明治の初期に同地にあった別当の長寿院が廃寺となったので、その跡に社殿を建立して「豊田神社」と改称した。
この神社は護国豊穣の神として、近隣の人達にあがめられていた。その名残りとして、今でも9月27日には氏子達によって、感謝の祭りが行われている。
境内には、五本の大きな欅の木がある。中でも御神木になっている欅は、樹齢200年ともいわれ(幹の経150cm、樹高23m)御神木にふさわしい樹形をなしている。昔はこの神木のそばに池があったというが今はその面影がない。(江戸川区教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による豊田神社の由緒
(下鎌田村)香取社
村内の鎮守なり。長寿院持。
神明社
持前に同じ
山王社
安養寺持
長寿院
新義真言宗上小松村正福寺末、香取山神明寺と号す。本尊不動を置。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による豊田神社の由緒
創立年代不詳。別当長寿院廃寺になり、その跡地に拡張する。例年の大祭には八幡霊地および日枝の霊地へ神輿渡御一泊を例とした。現在の社殿は大正十一年十月改築のものである。豊田神社にて一句「宮の松に梯子寄せかけ小春かな」(鳴瀬)の句を宮司家に残す。例年二月節分には総代役員総員道ケ嶋香取神社に奉幣参拝する。正月初詣でには宮司家亀井和泉守丸字切矢の授与が行なわれ、境内は参拝者にたいへん賑わう。(東京都神社名鑑より)
豊田神社所蔵の文化財
- 下鎌田の富士塚(江戸川区登録有形文化財)
- 豊田神社の社叢
下鎌田の富士塚
富士塚は、富士信仰の団体である富士講の人たちが、富士山の容姿をかたちどって築きあげた小高い塚です。実際に富士山に参拝を参拝すれば富士山に登ったと同じ霊験があると信じました。
この下鎌田の富士塚は、大正5年、旧下鎌田村の下鎌田割菱八行講の人々によって築造されたと伝えられています。高さ約3メートルで、全山ボク石(熔岩)でおおわれ、正面には「く」の字形の登山道がつくられ、中腹に石祠が祀られています。
塚の背面は大沢崩れを模したような所があり、また中腹左には小御嶽神社の石祠があります。
下鎌田割菱八行講は現在も盛んに活動し、7月1日の山開き、8月28日の火祭り、毎月の月並み祭りを行っています。(江戸川区教育委員会掲示より)
豊田神社の周辺図