船堀日枝神社|船堀新田開発の際に守護神として勧請
船堀日枝神社の概要
船堀日枝神社は、江戸川区船堀にある日枝神社です。船堀日枝神社は、慶長19年(1614)船堀新田開発の際に守護神として山王権現を創祀、旧船堀村東組の鎮守社であったといいます。明治6年日枝神社と改称、村社に列格したといいます。
社号 | 日枝神社 |
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祭神 | 国常立尊 |
相殿 | 春日大神、稲荷大神 |
境内社 | 水神社、天祖神社 |
住所 | 江戸川区船堀6-7-23 |
備考 | 旧船堀村東組の鎮守社、旧村社、境外末社:船堀三島神社 |
船堀日枝神社の由緒
船堀日枝神社は、慶長19年(1614)船堀新田開発の際に守護神として山王権現を創祀、旧船堀村東組の鎮守社であったといいます。明治6年日枝神社と改称、村社に列格したといいます。
江戸川区教育委員会掲示による船堀日枝神社の由緒
日枝神社
旧船堀村東組の鎮守です。祭神は国常立尊、左右相殿に春日大明神と稲荷大明神を合祀しています。慶長19年(1614)、船堀新田開発の際に守護神として山王権現を祀ったのが始まりといわれています。別当社は隣接の光明寺で、明治6年に日枝神社と改称しました。(江戸川区教育委員会掲示より)
「江戸川区史」による船堀日枝神社の由緒
日枝神社(船堀六丁目七番二三号)
旧船掘村東組の鎮守で村社であった。祭神は国常立尊、左右相殿に春日大明神と稲荷大明神を祀る。慶長十九年(一六一四)に船堀開発の際守護神として山王権現を祀ったのが始めであるという。安政二年に両国米沢町の志摩屋半兵衛が下々田五畝一八歩(約五五四平方メートル)を寄進している。別当は隣接の光明寺であった。明治六年に日枝神社と改称し村社に列した。
境内に明治三十年建立の「乾海苔創業記念碑」、明治二十三年の力持建立の碑、その他富士講碑、百度石等がある。(「江戸川区史」より)
東京都神社名鑑による船堀日枝神社の由緒
慶長十九年(一六一四)元船堀村開発のさい、村民の守護神として勧請、元禄十年(一六九七)検地によると山王権現社地八畝十三歩、祭神国常立尊、左右相殿春日大神・稲荷大神である。同村稲香山光明寺持である。明治六年日枝神社と改称。安政二年(一八五五)、江戸両国米沢町志摩屋半兵衛より下下田五畝十八歩寄付。明治九年地祖改正、実地丈量、前の社地合併し、現境内地は六百余坪となる。(東京都神社名鑑より)
新編武蔵風土記稿による船堀日枝神社の由緒
(船堀村)山王社
東組の鎮守なり。稲荷を合祀す。本地佛十一面観音、光明寺持(新編武蔵風土記稿より)
船堀日枝神社所蔵の文化財
- 船堀の富士塚(区登録有形民俗文化財)
- 乾海苔創業記念碑
船堀の富士塚(区登録有形民俗文化財)
明治25年、登山講によって築造されたものです。登山講は明治時代に廃絶したといわれています。高さに比べて面積は広く、椀状に盛土された容姿は、他の富士塚と違った印象を与えています。石碑は二基で、全山ボク石に覆われています。(江戸川区教育委員会掲示より)
乾海苔創業記念碑
海苔はかって江戸川区の特産でした。この碑は、明治30年建立で、高さ146cm、幅130cm、厚さが18cmあります。船堀村の乾海苔創業の由来と功労者名が刻み込まれています。(江戸川区教育委員会掲示より)
船堀日枝神社の周辺図