薬王山誠心寺|室町時代創建
誠心寺の概要
浄土宗寺院の誠心寺は、薬王山慈眼院と号します。誠心寺は、天誉龍頭が文正元年(1466)に草庵を結び、慶長7年(1602)行誉清教が一寺として創建したといいます。
山号 | 薬王山 |
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院号 | 慈眼院 |
寺号 | 誠心寺 |
本尊 | 阿弥陀如来坐像、観世音菩薩立像 |
住所 | 江戸川区江戸川3-50-23 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
誠心寺の縁起
誠心寺は、天誉龍頭が文正元年(1466)草庵を結び、慶長7年(1602)行誉清教が一寺として創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による誠心寺の縁起
(上今井村)誠心寺
同末(浄土宗、金蔵寺末)、薬王山慈眼院と号す。文正元年天誉龍頭と云僧始て草庵を結び、慶長7年住僧行誉清教の時、寺号を賜ひて一寺となりしと云。本尊阿弥陀、又薬師観音を置。この観音は同郡長島郡の海中より出現の由云傳ふ。(新編武蔵風土記稿より)
江戸川区教育委員会掲示による誠心寺の縁起
浄土宗で薬王山慈眼院と号します。文明年間(1469-1487)に天誉竜顔が草庵を結び、慶長7年(1602)行誉清教が一寺として創建したと伝えています。本尊は阿弥陀如来坐像と観世音菩薩立像です。(江戸川区教育委員会掲示より)
「江戸川区史」による誠心寺の縁起
誠心寺(江戸川三丁目五〇番地)
浄土宗で薬王山慈眼院と号し、金蔵寺の隠居寺であった。文明年間の創建といわれ、始めは天誉竜顔が草庵を結び、後に行誉清教和尚が一寺として創立した。本尊に阿弥陀如来と観音像をまつるが、観音像は長島の吉岡助左衛門という者が海中から網でひき上げたものといわれる。現在金蔵寺が兼務している。(「江戸川区史」より)
誠心寺所蔵の文化財
- 木造阿弥陀如来坐像(江戸川区登録有形文化財)
- 木造聖観世音菩薩立像(江戸川区指定有形文化財)
- 木造薬師如来立像(江戸川区登録有形文化財)
- 庚申塔(寛文8年銘及び寛文13年銘)二基(江戸川区登録有形文化財)
木造阿弥陀如来坐像
江戸時代の作で、高さ36cm。像容が整っており、光背も筋光背という珍しい様式です。(江戸川区教育委員会掲示より)
木造聖観世音菩薩立像
南北朝(14世紀)頃の作と推定されます。像容の整ったすぐれた製作技術による寄木造りの観世音です。長島に住んでいた初代吉岡助左衛門が、海中より網で引きあげたという寺伝があります。(江戸川区教育委員会掲示より)
木造薬師如来立像
室町時代の作と推定されます。高さ47.5cm。寄木造りで像容のおだやかな仏像です。このほか、境内には庚申塔(寛文8年銘及び寛文13年銘)二基があります。ともに区登録有形文化財です。(江戸川区教育委員会掲示より)
誠心寺の周辺図