清光寺|長島高城の跡地、葛西大師まいり
清光寺の概要
浄土宗寺院の清光寺は、一向山無量院と号します。徳誉法印が文亀2年(1502)に開山したといいます。当地は、小田原衆所領役帳に記載されている長島高城の跡地であったと推定され、中世には豪族の館があったと考えられています。葛西大師まいりです。
山号 | 一向山 |
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院号 | 無量院 |
寺号 | 清光寺 |
住所 | 江戸川区東葛西3-3-16 |
本尊 | 木造阿弥陀三尊立像 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 葛西大師まいり |
清光寺の縁起
清光寺は、徳誉法印が文亀2年(1502)に開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による清光寺の縁起
清光寺
浄土宗、上今井村金蔵寺末。安照山太子院と号す。文亀2年徳誉といへる僧起立せり。本尊弥陀を安ず。
天神社。
鐘楼。(新編武蔵風土記稿より)
江戸川区教育委員会掲示による清光寺の縁起
清光寺
浄土宗で安照山太子院と号します。文亀2年(1502)徳誉法印が開山しました。
本尊は阿弥陀三尊の木造立像で、ほかに法然上人像と善導大師の像を祀っています。
中世の館・長島高城の推定地
小田原北条氏が関東一円を支配していた時代の記録「小田原衆所領役帳」に江戸川区内の十六の郷村名が登場しますが、その中に「長島高城」があります。時代は下りますが、寛延2年(1749)青葉某の書いた「葛飾記」には、「此所は昔、長島殿と申す城主の城下の湊のよし」と記述されていることから、これが「長島高城」とよばれた中世の館ではないかと推定されます。清光寺のまわりには、城にちなむ小字がとりまくように残っています。このあたりは古くから交通の要衝として栄えた所でもあり、長島高城が館とすれば、現在の清光寺の境域にあったのではないかと考えられます。
なお、清光寺は、葛西大師まいり(江戸川区登録無形民俗文化財)の巡拝する所の一つです。(江戸川区教育委員会掲示より)
清光寺所蔵の文化財
- 葛西大師まいり(江戸川区登録無形民俗文化財)
清光寺の周辺図